ほんの感想、「東京を生きる」(その2)

扇情的な表紙から、どこかしら昭和の泥臭いエロが感じられるのは、わざとなんだろうかと、今、手元の本を眺めている。
「東京「を」生きる」なのだな、「東京「で」生きる」ではなく。
「一人「で」生きる」は「一人「を」生きる」と違うように、彼女はどこまでも繊細に言葉にこだわっていたのかもしれない。
「東京「を」生きる」は「東京「で」暮らす」とは違う。
だから私にはなかなか雨宮さんが描く「東京」がわからなかった。居住するのとたまに訪問するのとでは大違いであるにしても。
読み始めたときはどうにも「東京カレンダー風味」だなあ、とやや鼻につく感じがあった。
とりわけ華やかな世界をおしゃれに描いているのか、思わず連載していた出版社のホームページを見てしまった、どんな本を出しているのか、と。
で、私が普段は読まない系の女性向け啓発本を出版しているところのよう、やはりある程度読者をしぼって書いたかな、などと、
多少情報を入れると、無駄な枝葉を省いて読めるので、本質的な部分にも近づける気がする。(気のせいか)
雨宮さんは「東京」を描きながら、「東京の女性」を上手に記録している。
私が雨宮さんをすごいと思うのは、女性が女性を観察してそれを表現するとき、どうしても批判的な、意地悪な視線にならざるを得ないのだが、
雨宮さんの文章にそれはない。
化粧が30年近く前に止まっているような(心当たりあるわぁ、、(涙))中年以上の惨めな女性に対してさえ、やさしい。
その優しさはわざとらしくない。とても快い。雨宮さんはいつもこうして女性に優しさを身を削って分け与えてきたんだろうか、
なんて、私はどうも「彼女をこの世界から失った」が頭にあるので必要以上に感傷的に考えてしまう。
それは彼女に対して失礼なので、もっと理性的にならねば。(理性は日ごろ持ち合わせておりませんが。)
なんにせよ、雨宮さんの描く女性はとても面白い。
一番印象に残るのが、雨宮さんは一定年齢以上のおしゃれな女性に強く惹かれていた点で、
この手の女性は地方都市では生息地が違うとまったく見かけなかったりするので、こうした点がやはり地方出身者なのかな、
まあ、地方でこの手のおしゃれな女性は大体が非常に意地悪であったりするので(それが悪いと言うわけではないが)
洗練が狭量に流れていない美しい年配の女性は東京にしか生息しないのかもしれない。
これが地方都市と首都の違いか。
そういえば雨宮さんは九州の福岡出身らしい。このたび初めて知った。
お出かけするので、今日はここまで。感想は明日で終わる。