有名スタイリストの本によると世の中には「おしゃれな人」と「おしゃれが好きな人」がいるそうで、
なるほど、世の中の大半の人間は「おしゃれが好きな人」だろう。
ようは「下手の横好き」的愛好家で故に有名スタイリストの指南本は定期的にベストセラーになる。
私ももちろん「下手の横好き・おしゃれ好き」なのでスタイリスト本を時々買っては「ほぉほぉ」と感心している。
「おしゃれ」は「哲学」なのだよね、、、故に雨宮さんのおしゃれ談義は面白かった。
先日、無事に半世紀を生き終えた私はまずは次の四半世紀に向けて生活を見直そうと、
いまひとつぱっとしない自分の服装もどうにかしなければいけないと思っている。
私は若いころ、細くて背も高いので、基本的には何を着ても似合った。
幸か不幸か、必要なときはおそらく必要とされるだろう服装を整える経済力もあったので、
なんとなくそれらしい服を着てなんとかなった経験しかなく、あまり服の勉強をしてきていない。現在不勉強なため大変困っている。
人間は、年とともにそれまでの服が似合わなくなってくる。
加齢現象の情け容赦なさは服装問題にまで踏み込む。
私くらいの年齢で、唐突に「着物」に踏み込む人は多いのだが、それも理由がわかる。
今まで好きで似合っていた服が突然似合わないことに気がつくからだ。
たぶん「着物」に逃げることで「これは私ではない!」がマシになる、「着物を着た自分」に自分の目がなれていないからね。
私の場合、よく「節約上手な中高年女性」が手を出す「古着の着物」には手が出せない。
昔の着物は身長の低い人向けなのでな(涙)、170センチ近い、でかい私には無理な分野よ、、
しかも、着物は服以上に色合わせが難しい。これを上手にできる人は若いころに美術の勉強を専門的にしている人だけだろう。
実際、中高年になってから着物にはまった人の色あわせをネットで見ていると、
やはり「うまい」と思わせる人は「絵」の勉強をしていたりする。若いころの「勉強」は宝。
しかし、先日、いつも上手にあわせているな、と感心していた人が着ている姿をアップしているのを見て、
やはり若いころから着付けていないと着物は難しいと痛感した。
「着付け」が悲しいほど、体にあっていない。
私が着物に手を出さない理由は背が高いせいもあるが、若いころから着ている人にはかなわないと思うからで、
別にかなわなくてもいいんだけれど、私の場合、無駄に背が高いので下手に着物を着ると目立つ。
その上に着物も着付けもぼろぼろだとどれほど悲惨な結果が待ち受けているか、、、悪目立ちはしないに限るわ。
着付けの話に戻せば、その方はセオリーどおり、
年齢相応の、襟をゆるめにぬいてゆったりと前を打ち合わせ帯をやや低めに結んでいるが、それはその方にまったくにあっていない。
たぶん、もう少し、すべてをあげ気味にしたほうがずっと似合っているだろうに、
これが若いころから着物を着ている人たちと「にわか」の差か、と、
私も着物を着た人を多く見てきていたので、こういうことだけはよくわかる。これに大変困る。
というわけで(?)着物にも逃げられない私は中年を脱して前期高齢者として服装問題に向かい合おうと思うのであった。
(続く、かも)