日常雑記。

「パトリック・メルローズ」にかまけて忘れそうなことをメモ。

サンクトペテルブルク」は「ブル『グ』」ではなく『ク』であったことを

先日のロシア推理ドラマ対談で初めて知った。

「ロシア外伝」と「貴公子探偵ニコライ」はともに「サンクトペテルブルク」が

舞台で、この町はロシアとヨーロッパを融合させた美しい街であると

エルミタージュ美術館」展を大昔に見た時に知って行ってみたいと思っている。

かつての「レニングラード」でピョートル大帝が一から作った街で、

「ロシア」になってすぐ旧名に戻したのは住民が名前に愛着をもっているからか。

娘たちが中学生のころド田舎の剣道大会に、サンクトペテルブルクから剣道家がきて

たれに「ピョートル」と名前が書かれていたのに感心したことがある。

折り目正しい青年たちで、洗練された大都市から普段はタヌキやキツネの数のほうが

人間より多いところによくやって来たもんだと気の毒に思ったものだ。

街に話を戻して、ミステリチャンネル対談で、ロシアの町とヨーロッパの町の

レンガの色がそれぞれ違う話が出てモスクワとペテルブルクも違うらしい。

「ここはロシアではない」「ヨーロッパではない」とレンガの色でわかるとか。

対談で、ロシアは全体でみると国民性に田舎臭い部分があるそうで、

そこが良いところでもあり、ただサンクトペテルブルクはモスクワより

住民の意識が高いらしい。日本で言えば「京都」みたいなところか。

「パトリック・メルローズ」の感想を求めてネットを浮遊すると

やはり私と同じく「残酷な神が支配する」を思い浮かべた人もいたようで、

ドラマの評判は拾い読む限り、芳しいとは言えない。

「バッチ・ファン」はがっかりするだろう、との意見もあったり。

ネットで一番楽しいのは自分が見た映画やドラマの感想を拾い読むことで、

ドラマで事件が起こるたびにパトリックは依存を発症するとあって、

そういう同情的視点はなかったので考えさせられた。

ドラマとしてはミニシリーズで長くないものの主題が重いので見た人が少ない。

感想を書く人はもっと少ない。あらすじを書く人はいるけれど。残念。おわり。

成功のお買い物。

右を向いて左を向いたらすっかり忘れるアテクシなので

同じ過ちを繰り返すまい!とお買い物の失敗を書き残しがちだが、

たまには「成功!」もあることをここに。

お買い物の「成功!」とは「リピートあり」なもので、

クレ・ド・ポーのコットンを使い始めて「これだ!」となっている。

限定セットに入っていたのを使い始めてその滑らかさに驚いた。

これはもう、戻れない。1箱900円くらい(多分。いつもほかのものと一緒に買うので)

ほかに比べるとかなり高いが、このコットンを使っているだけで肌の癒しになる。

結局、セットのメイン製品にリピートはなかった。貧乏性のせいかもしれんが。

ゲランのアクアアレゴリアのシリーズをよく買っているからか、

「お誕生日月に何か買ったらプレゼントを上げるよ」メールが届いて、

おまけに弱いアテクシはかつて、若かりし頃からあこがれてきた

「レ・メテリオット」というフィニッシングパウダーを初めて買ってみた。

これは確か私がまだ学生の頃にきらびやかに広告をして

綺麗な色の丸い粒がたくさん入った、あまりの形状の可愛さに大人気になったものの

貧乏学生だったアテクシはメイベリンさえ手が届かなかったので

ただひたすら、遠くからその存在を見守って来たけれど、

30年以上たって、おばはんには買えない値段でもないな、と気が付き

使ってびっくり!大変良い。顔がパッと明るくなる。

ほのかにヴァイオレットの香りがして気分が上がる。

もっと早くに買っておけば、、、と後悔。良い出会いであったわ。

娘たちにプレゼントしたいが、この手のものはあまり喜ばないので保留。

うちのお嬢たちは「もらってくぜ!」と勝手に持っていくものもあるが、

私が満を持してプレゼントすると、なんとなく腑に落ちない顔をする。

お嬢様たちは難しいわ、、、(涙)

そしてゲランの誕生日プレゼントはサンプルいろいろであった。

買って成功、というものではないが、

アテクシは「スシロー」のパフェをこよなく愛している。

少し前になるが「スフレパフェ」を食べてめちゃくちゃおいしかった。

今まで食べたスシローパフェの中でベストかもしれん!というくらいうまかった。

季節もので今はない。(多分)

アテクシがマイダーリンを愛しているのは、すし屋に来ているのにすしではなく

スィーツを食べたがるアテクシをマイダーリンは許してくれることで、

この美点は素晴らしい!と書き残しておこう。

「こんなところで甘いものを食べたがるなんて」と責める旦那ではないのは、

私にとっては至高。

大昔、だれかと何かを食べに行ったとき、ふと見かけたものを食べたがると、

「ここはそういう店じゃないから」「別のところに行こう」と言われ、

それに従ったが不満がいっぱいであった。たぶん、おいしいものを食べたと思うが、

そこでそれを食べてみたかったを許す人間でないと私には意味がないのよ。

人生の選択肢は間違っていないと、スシローの安いパフェでしみじみする

安いおばはんであった。ちなみにマイダーリンは私ほどスシローは好きではない。

でもつきあってくれてありがたいざんす。おわり。

小説・「パトリック・メルローズ」・終わり(飽きた)

5冊読んだから5つ書くかとも思ったが、とっくに本を図書館に返しているので

気になったことが確かめられない。またそのうち借りる機会があれば書くか。

実の父親から息子が一定年齢になるまで性的虐待を受けた話は

萩尾望都の「残酷な神が支配する」を思い出させて、

これは母親の再婚相手の義父から性的虐待を受ける少年の話だったが、

その後、少年が長年苦しむのは「パトリック」と同じになる。

私は最後までこの漫画を読んでいないので、萩尾ファンというだけで

この陰惨な漫画を根気よく読んだマイダーリンに結末を聞くと

一応救済はあったそうで、なんにせよ、

萩尾先生、「パトリック」より早くに書いているのでやはり天才。

しかし「残酷な~」は結婚相手の息子で血縁ではない相手を虐待をするのに対して

「パトリック」は実子なのでこの異常性はどう受け止めていいのやら。

「パトリック」に、父親の古い友人で最後まで生き残る「ニック」は

最終章「アトラスト」では実の娘に性的虐待をしていた事実を暴かれる。

要するに「類友」がいた、その環境は恐ろしいという以外ない。

この「ニック」は何度も結婚し、中には娘より若い相手もいて、

欧米の中~上流層の「ロリ」というより「ペド」と吐き捨てたいような、

金にものを言わせて子供を性的に消費する事件が山のようにある現実を

私に思い出させる。

 日本でも最近裁判で、実の娘に性的虐待をした父親が有罪になり

そのあまりにもおぞましい犯罪にぞっとさせられたが、

「パトリック」の中でもパトリック以外にも父親の被害者がいたように

この手の犯罪者は自分の子供以外にも手を出しているのではないか、

私は余罪を調べてもらいたいと願っている。

自分の子供を性的に消費する人間がほかの子供にもしないわけがない。

実際、昭和に雑な子供時代を過ごした私には、

奇妙なそぶりを見せた「同級生の父親」の情報を子供同士で共有した経験がある。

「おかしい」は子供同士では話せるが大人に話した記憶はない。

子供は大人に話しても無駄だとわかっていた気がする。

「おかしな父親」の子供は今にして思えばやはり何かがおかしかった。

彼らのその後を現在地元に住む私は知らない。

話を小説に戻して、性的消費の相手に自分の子供を選ぶのもためらわない

異常者の告発を著者は「パトリック」でやっているのか。

その被害者であった元子供にとってこの小説、ドラマは救済になるんだろうか?

なると思うには小説はあまりに複雑な構造で

著者は恐ろしくプライドが高く、孤高を好み、超然としている。

その生き方はきわめて個性的で共感を呼ぶのとは違う気もする。

ところで、パトリックの父親の名前は「デイビッド」で「デイビィ」、

つまり「デビル」を模し、その悪友「ニック」は「オールドニック」と

「悪魔」の別名なので、このネーミングはわかりやすい。

ちなみに「パトリック」はアイルランドキリスト教を広めた聖人の名前である。

久々に長い本を読んだので感想も長くなった。

私はドラマを見たので面白かったが、万人向けではないので星は3つ。おわり。

 

 

小説・「パトリック・メルローズ」その3

続けると「その5」まで行きそうな、長い小説だしな。

しかし、図書館で全5冊を一気に借りて読んだんで

記憶から抜け落ちた部分がある。ドラマの内容を確認するのが目的だったし。

小説は英国では絶賛されたらしいものの、日本人に受け入れられる内容とは思えない。

実の父親が幼い息子に性的虐待をする衝撃もあるが、

一定以上の知識がないと読めないタイプの「スノッブ」な小説なので

ハードルが高い。思いもかけない展開と、どこまでも冷静で皮肉な視点は

「サキ」の系譜と考えるのが妥当だろうが、一般日本人でサキを知る人は少ない。

小説の一エピソードに母親がショーもない「ヒーラー」に無条件譲渡する邸宅の中に

高額な絵画があって、それを息子のパトリックが盗もうと画策するドタバタがある。

これはドラマの中でもコミカルに描かれて

結局、母親自慢の高額なその絵画は実は偽物だった、のオチがつき

少なくとも「ヒーラー」はそれを知らないとひそかなブラックジョークになる。

母親が自分の審美眼を信じて自慢にしている絵画が実は偽物だったの話は

最近私が読んだばかりのサキの中編「鼻持ちならぬバシントン」のオチと同じで

この話は息子が死んでその母親のアイデンティティーの一部だった高額な絵画が

実は偽物だったと判明する、サキらしいこの上なく絶望的な最期は強烈だ。

「パトリック」のエピソードはこの話を踏襲しているのではないかと思われ、

これがわかる人間は英国にもどの程度いるのか、私にはわからない。

「バシントン」を踏襲しているのは私の考え過ぎかとも思うが、

息子を失った母親が自分のプライドの支えだった絵画を偽物と知るに比して

母親を亡くす息子が彼女が大切にしている絵画を実は偽物と知っているは

たいそう上手な諧謔に思える。

様々な過去の物語を絡めながら一個人の実人生の悲劇を徹底的に洒落のめすのは

恐るべき力作なんだろう。だから英国では評価が高い。

小説の長さと内容が個人の人生譚である点からいえば

ディケンズの「デイヴィッド・コパーフィールド」系だ。

多分私の知らないもっと様々なエピソードが含まれているだろうが、

(タイトルにしても)知識がそこまであるわけではないのでわからない。

 きっちり読み解いていけばこの部分はあれを模してる、これを逆張りか、と

私は欧米の中~上流階層の人間たちの話す言葉自体が階層を現す、

何を知っているかを常に会話にちりばめねばならないかのような

いわば「ウィットに富んだ」会話をしたがるのにうんざりする人間なので

バッチ君が主演してなかったらドラマも小説も存在自体を知らなかっただろうな。

そして知ったからと言ってどうということもないので、

とりあえず、早川書房はできれば脚注を巻末に示したほうがよかった気がする。

翻訳者は二人でドラマになって売れるうちに売ってやれ感ありありの

バッチ君を表紙にしさえすればバッチファンは買うと思っているかもしれないが、

おばはんたちはそこまで甘くないのよね。

ちなみにこの本、1冊1500円が5冊。図書館にあってよかった。(続く)

 

 

小説・「パトリック・メルローズ」その2

この小説の登場人物の誰にも共感できないので困る。

私が下層民で、出てくる人物ほぼすべてが中~上流の貴族だからだろうが、

出てくる連中、無個性か、個性がありすぎてろくでなしか、

パトリック自身もいつも何らかの依存症を抱えているので

(薬とか、女とか、酒とか)私のなけなしの同情心は吹き飛ぶ。

多分、中・上流階級の方々は私が好む「ガッツを見せる!」を下品と思うので

あえて著者は彼らが努力する場面を描いていないのだろう。

登場人物の中で一人だけ、ガッツを見せるのが、中の下くらいの階層出身で

パトリックの父親のろくでもない友人の元愛人のち、裕福な貴族と結婚した女性で

階層を上げる努力を果たしたと思ったら、夫にないがしろにされる、

しかしされたとわかった瞬間に、夫を置いてさっさと出ていくのだからたくましい。

ドラマの中でもその場面は痛快だ。

パトリックのくそ父親の傍に存在して腐らなかったのが彼女ただ一人。

上層志向が強く子育てを拒否するろくでなしだが、あっぱれである。

このエピソードのタイトルが「サムホープ」、小説でもドラマでも3作目。

「some hope」の意味はおそらく「なけなしの希望」、

彼女のその後はドラマでも小説でも出ないが、不幸にはなっていないだろう。

最終巻「アトラスト」で、精神的にも金銭的にも振り回した母親が死んで

その葬式の場でようやく、パトリックは母親からも卒業する。

パトリックは母親が死ぬまで、母親と自分は父親の犠牲者で

あんな父親を夫に持たなければ母親はあんな人間にならなかった、

と、思い込んでいたが、実はそうではない。

自身の子供への虐待は夫婦の共同作業だった。

実は、母親は息子ばかりか息子の周囲の子供たちをも自分の夫の嗜虐のいけにえに

すすんで差し出していたことにも気が付き

両親ともにどうしようもない人間だったのをようやく認められるようになる。

自分が父親から性的虐待をされていたことも母親は「知らなかった」のではなく

「見て見ぬふり」をしていたこともようやく理解する。

おそらく、母親が存命のうちはそれを認めたくなかった。

そこがこの物語の救いの部分で

ろくでなもない両親に虐げられてもなお息子は「情け」を奪われることはなかった。

おそらくこの心は継承されたものではなく自分で培ったものだと、

両親の愚かさを容認することで自分自身を受け入れる。

だからこれからの人生は少しマシになるんではないか、の結末だが、

先ほど、ドラマ主演のバッチ君のインタビュー記事を読むと、

主人公は「結婚して孤児を養子に迎えて家族を持つ」の部分があったので、

あの可愛い息子たちはやはり養子だったかー!と驚いている。

長いんで読み飛ばしたかな、やはりべろべろに酔っぱらったくそ親父は

幼い息子に割礼失敗という究極の性的虐待をして生殖能力を失わせたか。

小説のその結末の衝撃をドラマではもっと柔らかく描いたよう。

ドラマは上手に作られている。(続く)

 

 

小説版「パトリック・メルローズ」(その1)

この小説のテーマは親の呪縛からの解放なのか、どうもぴんと来ない。

実の父親からの性的虐待を友人に話す場面など、コミカルに書かれているので

この特徴的な「軽さ」が読みやすさにつながるのだが、

深刻な部分を読み飛ばしそうになってしまうので、解釈に困る。

小説では最終部分で、まだ赤ん坊だったパトリックに

医師免許を持っているが、人を癒すより「始末」するほうが多かった父親が

べろんべろんに酔っぱらって割礼をしようとする場面が出る。

うまくいくとはとても思われないのに、だれも父親を止められなかった、

結局それが本当に施されたかどうかははっきりせず、

ただひょっとしてその時、パトリックは子供を作る能力を失ったのではと思わせて

ちらりとだが、パトリックが愛してやまない息子たちは「養子か?」と思わせる。

パトリックの夫婦生活は破綻してその理由が長らくの「セックスレス

特に二人目の息子を持ってからは「完全レス」とあるので、私の考え過ぎなのか、

ドラマでは省かれて小説部分でも最後に出たのでわからない。

 この物語のもう一つのテーマは「継承」で、実の息子に性的虐待をした父親もまた、

幼年期に通った名門校で年長者から性的虐待を受けていたことにさらっと触れて、

性的虐待の連鎖もまた上流階級特有の「継承」なのか、下層民の私には測りかねる。

「継承」は「経済的虐待」である「廃嫡」もあり、

パトリックの父親は男爵であるその父親から早い段階で廃嫡されている。

それで「働かなければいけない」と医師免許を取得したようだ。

このことが父親の異常な性格を刺激した部分らしいが、私はおばはんなので

何があってもくそはくそと知っているので特に同情はない。

「廃嫡」というテーマはパトリックにつながる一族全員にまとわりついている。

アメリカの富豪一族の一人であったパトリックの母親も

父親ではない貴族と母が結婚したため、継承するはずの資産の大部分を失っている。

権利と思われていたものが本人たちには不当に奪われたと思われる痛みを

周囲が抱いて、ある程度以上豊かなのに喪失感を常に抱いている。

喪失感というよりは「被害者である!」感か。

しかし、パトリックの母親もまた本来実子に与えるべき資産を

他人に無駄に費やして一人息子にほとんど何も残さない、

莫大な資産を失ってもまだなお夫よりは裕福であったパトリックの母親だが、

彼女が自身の母親から立派に継承したのは愚かしさだけで、(男選びとか)

暴虐の限りを尽くす夫とようやく別れた後、奇妙な使命感を持ち

妙な宗教団体に金をばらまいてあっという間に資産を無駄に減らす。

彼女に最後に残された、一人息子のパトリックが愛着を覚えている美しい邸宅も

怪しげな「ヒーラー」に無条件で譲渡する。

そのヒーラーに邸宅を与えたとたん見捨てられると、

財産を両親からもらえなかった息子のパトリックに平気で依存する母親の精神構造は

どうなっているんだ?と不思議で仕方がない。

しかし、パトリックは母親を最後まで見捨てられない。

この母親はいつまでも「自分探し」をする世代の人間で

常に自分が「よい」と思ったことが正義で絶対なので

不自由になった体で辛いから安楽死したいと、

母親が利用する施設の費用の捻出さえも難しい息子に頼んで、

(母親が無駄に資産をヒーラーに与えなければ自分で出せたのに)

息子は四苦八苦しながら安楽死の方法を見つけ、なけなしの金をかき集めて

旅立たせようとするが、手筈がすべて整ったとき「やっぱりいや、怖い」と言い出す。

わたしならためらいなくその場で母親を絞め殺す、とパトリックにしみじみ同情した。

そもそも、資産のすべてを怪しい「ヒーラー」に譲る手立ても阻止しようと思えば

出来たはずなのに、人が良いのか、ジャンキーだったので頭のねじが跳んでいるのか、

母親の言うなりになるってどーゆーことよ?と私がパトリックの妻なら詰め寄るな。

これぞ恐るべき「共依存」か!と、しかしパトリックの妻もパトリックに似て(?)

妙に人が良く優等生なので許してしまう。

このうざったらしい母親とのあれこれは「マザーズミルク」と名付けられた4冊目に

描かれて、最後の「アトラスト」に続くが、長くなったのでまた明日。

 

小説・「パトリック・メルローズ」 ドラマを先に見るか、後で見るか問題。

私は「先に見てあとで読む」でよかった。

そもそもベネディクト・カンバーバッチ(以降バッチ君)でなければ

ドラマも見なかったし。見なければ決して読まなかった小説である。

ドラマは本が5冊と同じく5話で、

この長い小説を上手にドラマにまとめたと読み終えた後、感心した。

はしょった部分があっても小説の世界観を映像で再現できている。

小説が面白いかは私は先にドラマで情報が入っていたので読めたが、

ドラマになるほど良いのはどこかと言えばわからない。

私にはかかわりのない英国の中~上流階級のお話だし。

貴族の末裔が人生がイマイチぱっとしない上に倒錯した性に走った挙句、

さほど幸せにもならず死んでその性的虐待にさらされた子供が

大人になっても苦しむ話、というと身もふたもないが、これ以上の感想がない。

ドラマ化された世界が美しいので見る価値はあるが、読む価値があるかというと

ドラマをもう1度見て楽しむために読んでもいいかな、程度。

お金に困らないようで困っている中~上流階級で、微妙な豊かさのはざまでもがき、

そのもがきが何世代にもわたっていきそうな、

主人公であるパトリック・メルローズはそこから何とか出られそうな、

希望があるようなないような。

思いっきりネタバレだが、母親が父親からレイプされてできた子供がパトリックで

実の父親は息子である幼いパトリックをも性的に虐待する。

立派なキチガイ父親が母親と息子の人生をぶち壊す話だが、このキチガイ父親、

ドラマでは冒頭で死んでいる。小説の第2作目がドラマの1話目になっているので、

これは良い決断だったと思う、このほうがあとあとすっきりみられる。

小説では暗澹としたパトリックの幼少期が語られすでに性的虐待を受け、

レイプでできた子供であるのも幼いながらうっすらと知っている。

まことに救いのない話が続くので、何も知らずに読み始めていたら、

本を途中で投げ捨ててたな。

我慢して読み進めて2話でろくでなしの親父が死んだのはいいが、

父親の性的虐待によるトラウマで青春期のパトリックはすっかりジャンキー。

大きくなってから親父をもっとぼこぼこに殴っても良かったのよ、と

育ちの悪いアテクシは思うが、上品な階層出身者のパトリックはしない。

クズくそ親父は異様な魅力があって、映像はこの怖さをよく再現している。

私は小説だけではこの恐ろしさが理解できなかっただろう。

クソなオヤジは妻と息子だけではなく、昔からの友人にも暴虐をちらつかせつつ

年をとっても心理的に友人を支配していたりする。

「こんなにくそなのに?」と私は思うが、名門校でともに育った「ご学友」の関係は

奇妙にお互いの人生に絡み合って抜け出すことができないようだ。

諸悪の根源のような父親役をドラマで見事に演じたのがヒューゴ・ウィービング

人の好さがにじみ出る顔立ちのバッチ君の父親としては

悪相であるものの異常なのにどこか品格があった。

彼のあまりの存在感に立ち向かうのは人生の無駄、と私も思いこみそうだ。

ドラマでは、まず父親が冒頭で死に、最後に母親が死んでようやくパトリックは

自分の人生を受け入れられる「かも」で終わる。

この小説の著者は貴族の末裔で書いていることはほぼ実話らしい。

日本の翻訳本に乗る近影はバッチ君よりイケメンだ。

イケメンが苦しみぬいた半生の小説、ドラマでは省かれた気になる部分を明日メモ。

続く。