と称してご近所をたまに徘徊するアテクシは80代ばあちゃん運転の
軽自動車にひかれかかったりして、
「1時間の散歩は10年寿命を延ばす」と言うけれど
実際は侮れない大ババ様運転の事故に巻き込まれる率が高くて
むしろ寿命が縮むんじゃないか、と考えたりしている。
この辺は結構なコンクリ壁が多いのでうっかり打ちどころが悪いと
ほんまにあの世行きである。
と言うわけで(?)ワタクシの最近の散歩コースは猫の通り道ぐらいの
奇妙で狭い道で特に小さな寺と古い墓地があるところまでとなっている。
この墓地を歩いてしみじみよそ様の古い墓を読むのが好きでな。
墓と言うものは流行り廃れがあるようで、江戸時代のものはみな墓石が小さい。
何を書いてんだかわからないものやら既に敷石と化しているものやら、
小さな仏様を削っているものが連なるものやら、
私が最近しげしげ眺めているのが大きな石の塔で、読むと大正13年に
「〇〇家」をまとめて葬っているんだけれどもすでに100年たっていて
その周囲にまた同じ「〇〇家」の大小の墓が立っている。
合祀の意味がないよな、、などと思いつつ、戦没者をまとめて葬ったのもあり、
最近建てたばかりの新しい墓のわきにかつてあった古い墓石が置いてあったり、
まあまあ、ここの墓地も現役であるのぉ、と思いをはせる「ばあさんぽ」である。
はたから見ればあのおばはんは何をやっているんだ、と怪しく思われるのでは、と
とりあえず読む墓は一日一個と決めて楽しんでいる。
そして最近「ババ(旧ママ)友」との話題が墓関係になったりして、
法事に誰をどこまで呼ぶだの、そもそもいつまで法事はするべきか、
永大供養はどのタイプが良いかだの、とまことに年寄り話題になって
順調に死んでいきたいものやね、と考えるのでした。
最近会ったババ友との会話記録はまた後日。
ばあさんぽはご近所に危険な運転のばあさんがいる限り、墓石読みコースとなりそう。
おわり。