ほんの感想。「東京を生きる」・その3

「東京を生きる」で私が共感を覚えた箇所はあまり多くない。
出没地が違うので「六本木」とか「新木場」とか、行った事があるかどうか、
唯一わかった場所が「新宿」のミロードあたりからルミネへの道筋で、
あの狭い道筋に屋台のようにある店がちょくちょく変わるらしいことを初めて知った。
「若い子の店やのぉー」と眺めていたので、特に感想がない。
あのあたりに雨宮さんは特殊な苛立ちを覚えていたようで、考えてみれば、天下の「新宿」であるにもかかわらず、あの辺りは非常にドン臭い。
私は行ったことがないので(たぶん)知らないが「池袋」が「地方臭」がして嫌い、と言う人がいるらしい。
新宿のあの辺も「地方臭」がする。
最近は地方人を集約するバスターミナルが出来たので、新宿のドンくさい「地方臭」はよりましますことだろう。
しかし、私は地方人なので特に嫌ではない。
そもそも東京最大のおしゃれ百貨店「新宿伊勢丹」も私には田舎モノが土産を買うのにちょうど良いところ、としか見えないからな。
それはともかく、雨宮さんはベースに「地方出身」があるので、それを刺激する場所が好きになれなかったのかもしれない。
雨宮さんは「東京は地方都市ほどおしゃれではない」と書いてそれは私もしみじみ思うので、ここも共感を覚えた。
東京は街によって印象が変わる場所なので、「おしゃれな人」の密度を調べれば、福岡、名古屋、札幌、仙台のような地方都市のほうが高いだろう。
それを福岡出身の雨宮さんは「福岡は東京のおしゃれな部分だけを切り取った町」だと書く。なるほど、そのとおりだ。
地方の町は東京の「いいところ取り」をする、しかもそれを採る人間が限られている、それが地方の閉塞感だ。
雨宮さんは東京では思わず買ってしまうような高い服は地元では買えない、のようなことにちらりと触れて、
確かに、地方都市ではそれを買う人は誰であるべきか、がひどくはっきりして、その掟を犯すことは万死に価するような場合もある。
まあ、出回らなかったりもするしな、そういう「もの」が簡単に「見える」街としての東京の自由、
その自由に伴う孤独、孤独を愛しながらやはり感じる悲しみ、もろもろ、とても複雑な感情を暮らした「街」に持っていたことを
あらわしていたことを私は忘れないでおこうと思う。私には見えないものが、見えた人だった。
本で印象に残ったのは宇多田ひかるの母である藤圭子の歌に二度ほど触れている点とあとは「怒り」を抱くことについて。
雨宮さんの文章を読むと、なぜか自分語りをしたくなる、そこが雨宮さんのうまさだったのだろう。
読んだ相手に何かを吐き出させるようにさせる、とは稀有な才能のように思う。
年が明けたら「女子をこじらせて」も読んでみよう。
面白い本だった。女性には。男性が読んでどう感じるのか知りたい気がする。でもマイダーリンは読みそうにない。(涙)