お節な話、その1。

さて、「続く」、なんて書いてめったに続きを書かない私がめずらしく「続き」の話。
そう、「お節」。元々元旦てのは「五節句」の一つで
一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日、それぞれ奇数月を「節句」として
神と関わる祝い日としている。これは天皇家宮中行事を端に発したもので貴族から武士へ、
庶民へと伝えられ、今は重陽節句である九月九日が何故か無視されている。
(菊人形も姿を消すそうだし、、)何故奇数月の「十一月十一日」だけがないのかというと
十月の「神無月」に全国の神様は一斉に出雲に集まるそうなので恐らくそのあと
元旦までお休みなんだろう。(えらく長い休みをもらうもんだ。)
というわけで「神撰」である食べ物というのは常に決まったものでそれぞれ「白酒」やら
ちまき」やら「儀式」的に食べる事になっている。私はどうにも神様と相性が悪いんで
ここらへんで生理的につまづくんだよね、ミッション系の学校を出てて今回のペルー人が
「悪魔がやらせた」なんていう台詞もよくシスターの口から聞いてたし、
だから「悪魔祓い!」とか言ってムチでぴしぴししたりするわけであのペルー人も
そうしてもらえばいいのに、なんて思ったりして、とにかく古今東西を問わず何かにつけ
「神様」なんて言い出すやつにロクなもんはいないと、ぶつぶつぶつ、、、、、、
ま、「お節」ってのは元旦に食べるもんだけじゃなく「節会」、
他の節句の食べ物も本当は「お節」と呼んでもいいはずで九月九日が無視されてんのなら
一月一日てのも無視したってよさそうなもんだが「一日」つまり「朔日」として
元旦には二重に意味があるんだそうだ。そりゃあね、作るのが嫌ってわけじゃあないですよ、
作るのは構いませんよ、三が日休むって事はその分年末に山ほど働けってのは
理屈としちゃあ間違ってませんよ。ただ、その労働力の畢生の作が
「寒い時に冷たいもんは食べたくない」とのごもっともな一言でいい加減に扱われるのが
許せないってわけで、そして昔から「お節」ってのは
「手抜き料理」では決してなかったわけで(神様のお供えだからね)、
また今みたいなスタイルになったのは江戸時代からでやはり節季の休みに子供が帰ってくる、
客が来る、のを迎えるためにある程度豪華な料理だったのは間違いのないもので、
いつから間違った思想が流布したのか、ここらあたり私としては知りたいもんだ、ふん。
また「マメになる」だのどうのと下らねえ落語の語呂合わせみたいな事を言い出したのも
江戸時代からで全くロクでもない時代だったってわけよ、「武士の時代」ってのはよう!
とまあネットの深い闇に向かって八つ当たりをしたところで
まだ「お節」をどうするかという課題は残ってるんで、皆美味しく、楽しく、
年迎えをする方法というのは結局個々御家庭によって違ってるのが歴史的に見ても
明らかなんだから、我が家なりの「お節」のあり方を私が考案しないといけないので
責任重大なんである。友達んとこみたいに「お節は門松、しめ縄と同じ!」と見なすのも
また一興。正月休んでる女なんてのは男の妄想の中にしか存在しえないし
(少なくとも普段から真っ当な生活営んでる女の中には!)
やれじいちゃんばあちゃん家に連れてけの御親戚が子供連れてやってくるのと、
女を休ませるためのどうのっていう理屈は受け入れられませんのでそこんとこヨロシコ。
だから正月温泉で過ごしたいと思うのよ、わかってほしいなあ。
明日はまだ悶々と悩んでれば何故「お節」は私にとって憎むべきものであるかを
文化史から見て説明予定。私にとっては神様より理屈が大事。
理屈の通らねえ奴のために苦肉の作として「神様」っていう手が考案されたんで
理屈の方が神様より先ですからね。
歴史を学ぶってのはそういう思想を身につけるってわけですわ。おわかり?