2009年 一月一日

あけましておめでとうございます。
お節を食べ終わり、おとそ代わりのシャンパンを1本飲み終えたところでございます。
ほほほ、今年のお節はうまくできましてよ、今回採用したNHKレシピが大変優秀でございました。
「冷凍する」を調理法のひとつとして考えるのはありだな、と、去年梅シロップを凍結法と従来のやり方で試して
凍結法の方が梅の「皮」が柔らかくなっているのがわかって、現代の調理法としてフリージングに目覚めたのでした。
具体的に言えば凍結してから漬け汁に浸すなますはいけます。細切れ時間利用だけではないのですな。
巡回先を眺めていて、今年最初の星をつけたブクマコメントで「いつかいいことがあるかも」と書かれていて
去年、そのようなことを書いてコメントをいただいたことを思い出した。
私が若かりし頃からの愛唱歌は「pretend you're happy when you're blue」で、脳天気なんですが
何か耐え難い事態と思われるものに出会う度に歌っております。
この歌を知ったのは二十歳の頃で、薬師丸ひろ子が歌う「二〇年も生きてーきたのにねー」の年齢に私もなったんだなあ、と
考えるお年頃でございました。
若い頃は「難しそう」と思われることに挑戦するのが自分の生きる道、なんて信じる馬鹿者で
悲しいときに悲しくないふりをするなんて土台不自然で無理なことなんですが、それを私はこれからやる!などと
さして苦労も不幸もない私は決意したんですな、本当に若いって痛い。
でも二〇年それを続けて、振り返れば、いつか楽しいことも巡ってくるさ、と考えること、
それそのものが「幸福」であると今は考えるわけで、結局、楽しいことが何もなくても人生の終わりにやはり
「pretnd you're happy when you're blue」と歌おうと思います。
私のような苦労知らずがなにを言う?と思われるんでしょうが、私は自分のきつい経験は多分一生書き残すことはないでしょう。
「心の傷」なんてものは、自分が一人で抱えてあの世に持って行くもんじゃないですか、と私はある時期から思うようにしました。
残したいものではないですからな。ま、人はそれぞれなので、あえて記してそれを克服するやり方を私は否定しないです。
でも私はそれを採用しない、そんなやり方をする人の方が、現実生活では多いんじゃないか、
だから世の中なんとか回っていくんじゃないか、と、酔っぱらいが何か書いております。
誰も読んでいないことをいいことに、やりたい放題、人が来ない状態ってええわぁー、
私はネットの日記にこれを求めたいんだなあ、なんでつながる必要があるか、などとまあ、この辺にしておきます。
静かな年明けでとても幸福です。一日かぎりの平和を楽しみます。