この日。

皆様、こんばんわ。
下のお嬢さんが無事前期で国立大学理系に合格して浮かれている「chazuke」がいっぱいやっちゃって、書いております。
ほほ、やったわ、ダメかと思ったけど、やってくれたわ、さすが、ダーリンの娘、ちゃんとがっちりゲットするもんはゲットするざんす。
それはともかく、3年前の今日この日は、上の娘の合格発表日の次の日で、私はどれほど苦労をしたことか。
ま、ぶっちゃけ、大混乱のひ弱な首都に単身、娘の下宿を探しに出かけたってだけの話なんですが。
いやー、その時の苦労は、東北の被災者の皆様のものとは比べようもない、でも、わたし的には一代苦労、だったりして、
で、その苦労が3年後に役に立ったかっていうと、ちっとも役に立ったりはしないわけで、
ま、ああいうイレギュラーな経験は通常バージョンになんの役に立たないという、世の中そんなもんですわ、
それでいいんですわ、なんだけど、何が言いたいかというと、
私が人気のない渋谷を歩いてしみじみ、なんで人間が、安政の大地震だの、天明の大飢饉だの、コレラの蔓延だので
生き延びれたのか、っての答えは結局、人間が子供を作るから、だったんですわ、
「繁殖」するから、人間は生き延びてこられたんですな。
多分、人間の生きる唯一の正解は「繁殖すること」、これに尽きるな、でもそれをしたくない人間ほど、わけのわからない理屈をこねたがる、
しのごの言わずに子供のひとりでも作って見やがれ、ってのを言わせなくなったのがフェミニズムの功罪でしょうな。
でもね、ひ弱い人間が、なんとかここまで生き残れたのは、結局やはり、「繁殖力」だったと思いますよ、
それがないとね、「希望」もないんですわ。
子供の出来不出来なんてのは、どうでもいいんですわ、学歴なんて、ただの「保証書」ですしね。
その「保証書」がないと「生きていけない!」と思いつめるようなバカの子どもは、この世には生まれる必要はないですしね。
なんにしても、どれほど、絶望がこの世界を覆ったとしてもやはり、子供は作ってください、
世界を覆う空の色が「青い」というだけのことをこの後の世界に伝えるためだけにも子供は産んでください、
と私は残したいのでした。
閑散とした渋谷を3年前、歩きながらそういうことを考えたのでした。
子供を産んでおいて良かった、この世界を、これからの世界を見届けるために、そして作っていくために
子供がいて良かった、と、もう若くない私ができないことを、多分、苦もなくやってのけるだろう子供がいて
よかった、と私は今でも思います。
世界を変えるのは、子供を作る人間なんですよ、「言葉」ではなく。
3年前の経験は私に正解を与えたんですよ、それは阪神大震災よりも、確実に。
生きて、増えて、頑張ろうね。