ネット雑記。

もうしばらくすると全くパソコンに触れる暇がなくなるだろうから、少しまともな事を書き残すことにする。
とか言って、増田からネタを仕入れてくるのが悲しいわ、、(涙)
で、その増田ネタははてなで絶大な人気を誇る「毒母」もの、しかし、数年前に比べると大分ブコメの傾向が変わってきているのだよね、
私が星をつけたのは「なぜこの手の話は片親不在なのか」の内容で、
ひとつ、大きな「何か」が欠けているのを指摘する冷静さを持つ人がネットに存在するようになったのは、
大きな進歩だよなあ、ネットの社会性は発展しているね(はぁと)、
てなことは置いておいて、この手の「娘が色気づくと異様な反応を見せる母親」というのは、私世代の母親には結構いたりして、
子供である娘の方は、母親の言葉よりは、むしろその手の振る舞いをせずにはいられない母親の心理の方に傷ついていたりして。
少なくとも、私と私の周囲はそうだった気がするな、友達と「お母さんはなんでああいうことを言うんだろうね」とささやきあってお互いに慰め合ったりして、
もちろん、そういうことを言わない母親もいたのだけれど、それはそれで別の面で問題のある人であったりして
(例えば、自分の娘を「可愛い、可愛い」としょっちゅう誉めそやす母親は、娘の友達で自分の気に入らない子供はさりげなく排除を画策したり。
具体的に言えば、その子にはおやつを上げないとか)
なんというか、「昭和の母」の独特の「不幸感」って、どこから来たものだったんだろうな、今にしてみれば不思議に思う。
私の場合、実家母は私の容姿が気に入らなかった時期があるようで、散々な言われ様をしたこともあるんだが、
私を直接育てていたのは、父方の祖母で、母には姑に当たる祖母が「可愛い女の子が可愛い服を着たがって何が悪い!」と
母を一喝するような人だったので、大分助かっていた。でも、それを言われた時の母の惨めな顔を私は忘れることがない。
申し訳ないことをしたなあ、と今でも時々思い出す。
なんにしても、一様に「昭和の母」というのは特徴的な異常性があるようで、それはやはり、幼少期に戦争を体験したせいではないか、
などと、私は勝手に思っている。
実家の母も年老いて、あまり辛辣に物を言わなくなったので、
(つか、大昔から私は言うことを聞かない悪い娘だったので、母も私をいい加減、諦めたって感じ)
昔話を聞いたりするが、話すのも辛いことが多いようで、あまり聞けない。
父親が出生して戦死して、子供時代のその後の苦労は思い出したくないようだ。
子供時代に歪まされたものが大人になって出てきたのかも、ってな、適当な言い訳を母に負わせたりして。
なんというか、ネットには、これ以上の不幸はなかった!的な「毒母」ものが溢れていて、大きな共感を得たりしているけれど、
私は、割と早めに子供を持ったせいか、困った母親を罵倒するより、彼女たちの生い立ちをなぞってみたい気がするな、
不幸だったと思うわ、どうしようもなく、時代のせいで。
でも、たまに「うわー。どうしたのこの人」みたいな私の母親世代の「大当たり女性」に現実に出会ったりするので
母親を憎んでも憎みきれない人の母ってこんなタイプ?と思ったりする。
さりげなく話を聞いてみたら、戦争でさほど不幸になったタイプでもなかったりするのよね、不可思議よねえ、、
増田の話とは関係ないが、数年前、一度だけ、母が「あんたくらい綺麗な娘はここらあたりにはいなかった」と口にして、へえーっ!!!と驚いた。
びっくりするくらい自分でもその言葉が衝撃だったので、若い頃の私は母の心ない言葉にかなり傷ついていたのかもしれない、と思った。
ま、年を取るといろんな話を見たり聞いたりするわ、ってことで。
またしばしネットはお休み。