はてなの「記事を書く」にべたべた出てくる吹き出し窓がうざい。
いちいちなんで「OK」をクリックせないかんのじゃ!と放置すると
書いていくうちにだんだん邪魔になってきたりして、腹が立ってくる。
でもクリックしないけどな!
アテクシの膝の状態はマシにはなってきて、再来院は避けられそう。
ランチの予約も入ったことだしぼちぼち動かすか。
先週は高校の卒業式だったのを地元ニュースで知って、
もう下の子でさえ10年前になるのに感慨深かった。あっという間よ、人生は。
と同時に、自身の卒業式、二人の娘の卒業式を経験した人生は豊かであったと
子供を持つ経験が与えてくる豊かさは目先のあれこれと比較するには
あまりにも桁が違いすぎて、「結婚しても持たない」を選択する不幸を考える。
私は子供を持つ気がなければ結婚する気がない人間だったので
「結婚しても子供は欲しくない!」がやはり理解できない人間だ。
私の選択で相手の選択肢まで奪う可能性をかけらほども感じず
相手と生涯を共にする覚悟は私には今でもない。
自由意思で子供を持たない選択は理解できるが、
それでも結婚するのは「愛」よりは「利便性」のような気がするな。
未婚のアラサー(と30過ぎても言ってよいらしい)上の娘が
「子供がいずれは欲しいから結婚したいと思うけど、一緒に子育てしたいような人には
全然出会ったことがない」と以前ぼやいて、
「私はいつでも何でもできると期待されて仕事しながら出産や子育ても完璧にできる!
となぜか私に近寄ってくる人間は思いこんでるのが見えるから、いやになる」と、
それは確かに言えるなあ、ほんまに何でもできそうな雰囲気するんだわ、うちの娘。
以前、かなり晩婚、晩産だった知り合いと話をしていた時、
「年をとってるから何でもできるように思われるけど、出産、子育てはいくつでしても
結局、初めてだからね」と話され、なるほど、と思った。
賢い女の子は多くの期待を背負わされて、いつまでもその期待を背負っていく。
それは結婚においても、出産、子育てにおいても。
子供を持つ、育てる、は望外の喜びではあるものの、切ない。
何がよくて、悪いのか、膝痛おばはんにはまだよくわからないのでした。