昭和の人々。

というのはもちろん私も含まれるのだけれども、普段付き合うわたくしの親世代、

元気すぎる田舎の80~90代のばあちゃんたちは、なぜか「長幼の順」と言うか、

兄弟でも一人だけを神のごとく祭り上げ、それ以外はその養分、であるかのごとくに

扱うのを当たり前のこととして受け入れているので、

彼らが若いころは変わりゆく時代にそれなりに準じてあからさまなことはそれほど

しなかったように思われるのだが、人目のタガが年齢とともに外れてくると

子供時代に刷り込まれた価値観が露わになっていく。

大体迷惑するのが祭り上げられないほうの兄弟と言うわけで。

アテクシの実家に関しては言いたいことがありすぎるとかえって言葉を失う日々が

つづいているので書かないが、先日マイダーリン母(90過ぎ)は

帰省してきた上の娘にだけ「お年玉」を大量に与える、

それも下の娘の前で金額まで明らかにする、

ダーリン母は、下の娘が先に結婚した折も、なぜか上の娘に大量のお小遣いをやる、

まあ、それは気を使ってくれているのだとありがたく思うものの、

下の娘の結婚祝いはあげてないという、なんでそういうことが起こりうるのか、

どうもダーリン母の脳内では妹娘のほうが

生意気にも姉よりも先に結婚するような「不始末」をしでかした、みたいな感覚を

どことはなしに持っているようで、令和に生きる正しい孫たちはただ困惑して

なんとなく気まずい感じになっている、もらえないほうももらったほうも困る、

こういうのって、どうなんだろう、むろん、親がそれを補填するわけだけれども。

何とはなしに

「お姉ちゃんより先に結婚するという愚を犯した妹娘に長幼の順とはいかなるものかを

教える!」の決意がみなぎっている感をアテクシは覚えたりして、

決して妹娘のほうをかわいがっていないとか、姉の方を憐れんでいるとか、

そういうものでもない、それでも妙に「長子信仰」は義母には強いようで、

はて、アテクシは上の娘に養子でも取ってもらわねばいけないのか、

しかし義母の良いところは必ずしも結婚が絶対とは思っていなさそうな、

「(上の娘の名前)はずっと(我々の苗字)のままでええ」」などと

なんか前期昭和の人の感覚ってミラクルだよなあ、などと思うのでした。

差をつけてもよいし、お金をあげてもあげなくてもかまわないんだが、

ダーリン母にはもうちょっと遠慮してもらえないか、

昭和の人々、かなり不可解な部分があると

同じ昭和でも中期のおばはんは思うのでした。

正月は気まずい思いをしない、させない、がモットーだったのに、

義母に簡単にぶち壊されたのであった。とほほ。おわり。