日常。

ネットフリックスの「ボディーズ」は大変面白かった。あたりを引けて満足。

目黒区の小学校で風邪薬を「オーバードーズ」したとかがニュースになって

そういえば50年近く前、アテクシの小学校時代は「トローチ」を

学校に持ってくるのが流行ったことがあったな。

子供の「オーバードーズ」かただの「いきり」か、判断に迷う。両方か。

私は目黒区には高級住宅地のイメージがあるので、

そんなところでも親の目が行き届かない子がいるのか、と驚いている。

どこに住んでも親は完ぺきとは言えないものだよな。

朝日新聞では有名な裁判事件のその後が時々載って

最近目にして感慨深かったのが「光市母子殺人事件」の再審請求棄却。

これは被害者たちの夫であり父だった人が切ないだろう。

どれほど時がたって、また新しい家庭を持つ勇気を得ても

こんな形で過去に引き戻される、私はある種の弁護士たちの異常なまでの

再審請求熱はどうかと思っている。

要するに大分の清源法律事務所がまともな社会感覚ではとても考えられない

自分の事務所の職員に事務所内で性行為を強いるのを当然と考えられるほどの

絶大な権力をたった一つの冤罪事件で持てるようになる、それが子孫にまで及ぶ、

そのあまりに理不尽な構図をいつまでも弁護士たちが描くせいではないか、

清源善二郎元弁護士の控訴がいつどうなるか、新聞記事になるのか、

赤旗新聞はやはりこの件は無視するのか、ネットは教えてくれるのか、

先日の甲府・放火殺人事件での弁護士側の「死刑でも控訴はしない!」宣言のような

明らかに裁判員を恫喝する目的で出された主張など、

もう少し弁護士に枷をかけるべきではないのかね。

まあ、私が裁判員だったら死刑判決でも無問題で死刑支持するだろうが。

控訴しない!と言って控訴する数の多さよ。それは特に何とも思わないが。

この事件がまだ再審か、、、と思うものは少ないので、とりあえずメモ。

母親を強姦最中に殺し、その子供を叩き殺すような人間を救う必要があるか。

そういった人間を救えるのは宗教ではないのかな。

弁護とは自分の名前を上げるためにやるものではないと思うが、

ある種の弁護士にはそれが目的の人間もいるようだ。

数世代にわたる莫大な権力が手に入ると考えれば安いのか。

正義とは何だろうな。おわり。