大分・清源法律事務所の控訴を徹底的に考える。おわり。

気分が今一つな時に大分清源善二郎元弁護士の性犯罪事件の民事判決を読んで

その所業にいまだ事務所も本人も何ら処分を受けていない事実に驚愕し

書き連ねてきたものの、自分の書いたものすら目にしたくない状態になっている。

事務所の処分は控訴している間は保留であろうし、民事裁判も控訴、

現在、やたらと正義ぶる弁護士ドットコムなどは、

この被害者が亡くなった事件に何らうまみがないので全く取り上げない。

ホストのあれこれは弁護士の飯のネタになるからやるのはよくわかるが

私は以前「清源」の名前を名乗っていた人間が別の名前で別の事務所を立ち上げて

その人物が「慶応閥」だから取り上げないのだとみている。

そもそも大分・中津は慶応の祖、福沢諭吉の地元だしな。

判決の一部を拾い読むと被害者の方の遺書が取り上げられ

被害者の弁護士として真摯であった姿勢がよくわかる。

証言をする難しさを理解しながら依頼者に証言を促す、

「自分が出来ていないことを相手に求めている」と、

性犯罪被害者であることを告発できない自分を責める文言は

まともな倫理観を持つ人間であればだれもが胸を打たれるだろう。

自分の弁護士資格はちゃっかり保留にして、70近い男が

娘よりも若い世代の女性と「恋愛関係にあったー!」などと豪語する、

なぜ、性犯罪者はいつも「相手は自分が好きだった」と主張するのか、

性犯罪は性欲過多の異常者に都合の良い「物語」ではない。

常に「自分は女性に誘惑された!むしろ自分が被害者!」と言いたがるのか、

このテンプレートは弁護士たちが同じ精神性であるからなのか、

性犯罪加害者は訴えられるまで同じことを繰り返し成功し続け

その成功体験が奇妙な自信となって「自分の性欲は正義」となるものらしい。

繰り返しの性犯罪を告発されるのはおそらく青天の霹靂で、

「こんなことは許されない!」となる、大体この手の人間は社会的強者だ。

そういう人間がセクハラの概念を知らない弁護士と結びつけばどうなるか。

犯罪の告発が「冤罪」に扱われる。

性犯罪を繰り返す人間の弁護人は被害者を徹底的に追い詰めて示談を求めることは、

社会に知られることがない。「不起訴になったー!」と騒ぐばかりだ。

「痴漢冤罪」が一時話題になったものの、それで痴漢が減るわけではなく、

つながったのはただ弁護士の案件が増えるだけのこと。

弁護士の世界がいまだ男性中心社会であることにうんざりする。

この件に話を戻せば加害者は直接の加害者だけではなく、

見て見ぬふりをし、遺書の提出を弁護士資格はく奪の前に

返納が受け入れられるのを待って遅らせた事務所の弁護士集団たちも同罪だが、

彼らのしたことも法の下で守られる。

この胸糞の悪さはどれほど書き連ねても消えることがない。

控訴が棄却されることを心の底から望んでやまない。