90半ばにしていよいよ意気軒高な義母はとある和事のお稽古に熱心で
毎日をほぼそれ三昧で生きている。
それほどのめりこむならば教えてくれている先生にもっと心酔するかと思えば
常に全速力で自分であることにためらいがない(=気が強い)ので
自身に若干の非があろうともちょっとでも責められたら猛烈に反発する。
要するに90のばあさまが80のばあさまとガチ喧嘩するわけで
二人ともだいぶんボケが入っているのに、
この怒る元気があるからこそ、長生きできるんではないか、
と昭和40年代生まれ、中途半端なばあさまのアテクシは思ったり。
ボケても呆けるのはもともとおとなしい性格の人間ではないかな。
このガチでぶつかるのにためらいのない世代の人間を見ていると、
だから長生き出来ているのか、
それとも多くの人間とひしめき合いながら生きてきたからいまだこうなのか、
なんにせよ世代の違う人間が理解しあうのは難しいものだと考えている。
そしてこの迷惑な年寄りに共通する「生きる!」ことへの執念を思うと
私世代、現在50代くらいの人間はだいぶん弱いんじゃないか、
ここまで「生きる」ことに無上の価値を私世代で見いだせているか、
時々年寄りにへきえきとさせられることがあっても、
私がいつも思うのが、この世代の戦争経験で、
子供時代に何としても生き抜くことが人生の最大目標と
否応にでも置かれる環境下で育てば生への執着心はいまだ衰えない。
のんべんだらりと「戦争を知らない子供たち」として育った私などは
そこまで「生き延びたい!」と思わないので
私の同世代のアーティストや少し上世代の70くらいの人間が
サクッと亡くなった時、今の80~90代ほど、
私世代は長生きしないんじゃないか、できないんじゃないか、と考える。
戦火を生き延びた人間の生きることへの渇望はものすごい。
それによる世代間の齟齬もすごかったり。
時々、年寄り世代の行動のあまりのえげつなさにうんざりして
「あんまり長生きしたくないかも」と同世代の知り合いに話すと、
「孫が出来たらまた違うよ」と言われて、確かに。
でも、わが親世代は孫がいようがいまいが、あんまり変わらない気も。
戦争経験、すごい。(違う)終わり。