「毒親育ちでかわいそうな俺!」

って、オールタイムベストワン、ネタ、なんだな、

最近、見かけなくなったな、ってのは単なる誤解であったわ。

野球で大学まで行かせてもらって毒親育ちと称するとは、

高校から英国に出してもらって帰国子女枠を買ってもらった某女子を

思い出したりして。

この場合の「毒親」「底辺」というのは何が何でも親と縁を切って

行方をくらまさなければいけないレベルではなく

「俺、あたしってかわいそう!」とやるための「ネタ」で、

営業に行った先の事務員を殴ってけがをさせた慰謝料を親に払ってもらったって、

毒親育ちは「ネタ」以外の何物でもないだろ、だったが

それに反応する増田も「ネタ」なんだろう。

貧しさが「親に中高一貫校に行かせてもらったけど大した大学にも受からなかった!」

レベルの情けなさを感じて、階層の断絶感をしみじみと覚えるわ。

見えてる世界が世間一般とはだいぶん違う。

世の中、今でも大卒よりは高卒で働く人間のほうがよほど多いのに。

「都心で子供を持つなんて無理ゲー!」というのも再々出るネタではあるものの、

私は名門都立高出身者とか、高専卒業者とかが、なぜ話題に出ないのか、

「こんな世の中、子どもを持つほうが間違ってる!」がはてなの10年以上前からの

意見ではあるが、これが一般的かといえば、案外そうでもない。

地方じゃ、親元、地元で子供をさっさと作る人は相変わらず多いし、

みんなが貧しければ自分だけが貧しいわけではないので幸せだったりする。

都心にいる中途半端に恵まれている層ほど、自分は不遇だと思いがちなのか、

「こんな世の中で子供を持つなんて!」と言いがちな人間に私が聞いてみたいのは

どんな世の中であれば子供を持ちたいのか、ゴールはどこにあるのか、

まさか「立憲民主党が政権を取った世界!」ではあるまいな。

私は先日、全員が「実家都心・名門中高一貫経由東大卒」の集まりに

顔を出す機会があって、彼らの親世代もほぼ同じような経歴で

「継承」とはこういうものか、その壁の厚さに若い時にぶち当たると、

悲壮感を覚えるだろうな、と思ったものの、年の功なのか、

それが良いとも悪いとも判断しかねて、

自分や自分の子供が「そうなりたい!」と願うほどでもない、

あまりにも緻密に均質化が進んでいる状態を見ると、かえって無個性な、

整然とした美しい世界に見えてうらやましい部分はあるものの、

やんわりとした排他性も垣間見えて明らかにその場にそぐわない私は

猥雑な社会のほうが暮らしやすい。

私がもっと若ければ悔しい思いを抱いたのか、負け惜しみなのだろうが、

あまりに集団に統一感がありすぎてつまらなさを覚えてしまった自分を

ほんのり恥じてもいる。

そこに属する人間にとっては、これほどの楽園はなく

それを常に横目で見なければいけない存在は「自分は底辺!」と思わねば

やってられないものなのか、

遺伝子を書き換えなければ達することができない世界の何がそんなにうらやましいか

営業先の事務員は断るのが仕事であることも理解せず、

逮捕レベルの傷害事件を起こしながらいまだクビにもなっていない増田は

かなり恵まれているというのに、そんな増田に「加害者だってかわいそう!」の

テンプレートで共感する人間がはてなにこんなにいようとは!

歯を折られるなどの大けがをさせられた女性事務員を私はひたすら気の毒に思う。

その女性事務員が高卒でシングルマザーの可能性もあったりするんだが、

「この俺様に口答えするババア!」と殴った増田がかわいそうかね。

はてなの「かわいそう!」と自称・毒親育ちとは

一般社会の中ではかなり恵まれた階層であるとの認識をここに。おわり。