誰が使う言葉なのか。

と、最近しみじみ考える。

私にとって「毒親」とは大体父親であまりにその毒っぷりが深刻なので

まともな子供なら親と縁を切って行方をくらますくらいのことをしているが

はてなで見かける「毒親」は、なぜか大学に行くお金を出してくれたり

その後も親と付き合いがある。

世の中、実は私が「普通」と思っている世界のほうがスーパーハードモードで

世間一般では、少々困った親を「毒親!」と称するものなのか、謎。

昨日、私と同年代の朝日新聞記者の紹介文を読んで、この世代で慶応卒ってなあ、と、

まだそこまで中学受験熱が高いころではなく、普通の公立高校から東大合格者は

そこそこ出ていた時代でほかの旧帝大も同じく、そのころにわざわざ慶応に行くとは、

実家がお金持ちの証明書にはなっていたな、それが悪いとは決して思わないが。

この記者は強迫性神経症を患って手を洗いまくる困った症状が出た話を

私も新聞紙上で読んでいたが、この度の記事を読んで、

「あー、うん、まあ、そうだねー」という気になった。

あんまり人生に恵まれすぎると何か一つ外しただけで心が壊れる、

一般社会で雑に育って雑にもまれると、人生からの雑な扱いに慣れてしまうというか、

何があっても「ちっ」と心で舌打ちして中指立ててやり過ごす、

その程度の耐性ができてしまう、だから「苦労人!」と言われる人間を

「ホンマにぃ?」と疑ってしまう、そのことに決して後悔がない。

頭が良いので進学校を進められたのに、

障害のある兄弟のために早めに社会に出たいと高専に進学し就職して

実家近くに家を建てている息子さんのほうが「苦労人!」に見えたりする。

親と一緒に兄弟の面倒を見たい!と考える

中学生としてはかなり世知に長けたお子さんで

「結婚もしない」と言ってた時期もあったけれど、今は子供もいる。

私の知ってるレベルの「苦労人」と慶応・ほーせー卒の同じ言葉のレベルが

全然違うというか、決して自衛隊系の学校に中学を卒業して行くのが

大変ではない、とは言わないが、うちの地区でそこに行く子は

大体無事自衛隊員になっているようで、

特殊なコースで、学校の先生も実はあまりすすめない、

ドロップアウトも多いそうなので

「苦労人」気鋭の経済学者氏も途中でコースを外れたのは、

「フツーだな」と私は思ってしまった。

でも慶応・ほーせい卒にはそう見えない、ということで。

「慶応内では苦労人!」と朝日新聞では注釈をつけてほしい、と思ったのであった。

おわり。