小田急線刺傷事件のこと。

週末、出先で小田急線事件裁判の記事を読んで被告が

「「この人でもいいか」と思った」と被害者を「選んだ」

その「上から目線」に驚かされた。

被告は「俺ってかわいそー!」と思っているくせに、妙にプライドが高く

被害者に対してでも「ま、この程度で」などと「何様?」と

被害者の親の立場でなくともとことん聞いてみたい。なんだ?その「意識」は。

いきなり被害者になった人間は混乱してなぜ自分が被害者になったのか、

何か悪いことでもしたんではないか、と被害を受け心が弱っているからこそ

考えてしまう。それなのに「この程度の人でいいかぁ~」みたいな、

それを「無差別!」と呼んでみたところで、何の慰めにもならない。

この事件の被告は、お前にとってほかの人間はお前以下なのか、

なるほど「自分以下」の人間がこの素晴らしい自分より幸せそうなら

「俺って本当に不幸ー!」の発想になるだろう。

自分が万引きを犯して、それを厳重注意されたことを恨みに思うとは、

どこまで自分中心主義なのだ、弁護側は「双極性障害!」と主張するようだが。

しかし、双極性障害であろうが、この病気のために犯罪を起こす人間は極めてまれ。

もういい加減、心の病で犯罪を犯すのを「無罪」であるように考えるのは

辞めてはどうか。病気になっても人を傷つけないほとんどの人たちに失礼だ。

一番の被害を受けた若い女性が本当に気の毒で、まだ若いせいで、

犯人から受けた傷を何とか容認しようと努める証言をしている。

私が彼女の親ならボロカスに罵って極刑を求めるけれどな。

そこそこ恵まれて生まれつき、さほどの努力もせずになんとなく年を取って

気が付けば誰にも相手にされていない自分に絶望するのは勝手だが、

だからと言って電車内で人を襲うなんて、求刑20年なんて短すぎるんじゃないか、

おとなしくしていればもっと早くに出られるだろうし、

この犯人に対する怒りは都会のそこそこ恵まれて生まれたくせに

その幸運を少しも理解せず自堕落に落ちて行った自業自得を「社会が悪い!」などと

ネットでくそみたいなことを言い散らす連中そのものに対してでもあり、

全く私には容認しがたい。

若い女の子が何の罪もないのに貴重な青春の一夏を傷の療養に費やした、

それは本当に罪深く、簡単に許してよいものではない。

ほんま、このぬるっとした妙に整った顔の男の事件は気持ち悪い。

刑期ができるだけ長くなるように心から祈る。終わり。