昨年からとにかく「コラボをたたけば正義の味方!」な風潮が
特にはてなのブコメで顕著でぼやきのようなツィートまでやり玉にあがるのを見て
この手の人々は日々の暮らしにどんな不幸を抱えているのか、
気の毒に思う部分もあるけれど、当事者が大迷惑するのを知っていて
ここまで煽り立てたネットでそれなりの影響力を持つアカウントは
実社会の名前も知られ、学歴も「東大卒」「慶応卒」であったりして、
どんな結果になり果てるかわかっていたのに今はやや距離を置いた体でいるのに
あきれている。学歴が品性までも保証する時代ではないのだよな。
私がこれほどの不幸はないと読んだのが、コラボに来る女の子たちを批判するのに
「スマホ代・何万、派手なネイルの何万」とあざ笑う言説で、
「本当に困ってるのぉ~笑」ってな、
それを発言する彼らは本当に「貧しさ」を知らないお坊ちゃまたちなんだな。
貧しいとは、豊かさを確かめる手段が決定的に欠落していることで、
極限に飢えた人間は口に入れられるものならどんなものでも口に入れる。
それと同じように寄る辺のない若い女の子が、とりあえずホッとできると現実といえば
スマホが好きなだけ使える、きれいなネイルを思う存分やってみる、みたいな、
本当に目先だけの満足をまず得るのが「生き延びる」第1手段であるのが
恵まれた東大卒・慶応卒の人間には見えない。
決定的な貧しさをただあざ笑うだけで自分たちがより高い立場にいると
見せつけているのか、私は彼らの心情の貧しさにはこの上なくぞっとする。
派手なネイルでスマホ代が数万、それがまず彼女らの考える「普通の幸せ」であるのは
恵まれた環境をどこまでも親に用意してもらえた人間には理解できない。
私が教養の虚しさを感じるのは、自分とは違う階層の人間を平気で踏みつぶせるような
感性の欠落で、貧しさがどのように人間に影響を与えるのか、全くわかってない。
また、理解しようとかけらほども思わない。
なぜなら自分たち、自分の配偶者、自分の子供、自分の周囲に貧しさは無関係だから。
「必要がない」であざ笑えてしまうことを、
実は自分は「豪胆である」と誇っているのがうすら見えて、
この程度のことで「俺は冷徹な現実家」と考えられるほどに甘い世界で生きている、
その特権ぶりは誠にうらやましい限りではあるけれど、
人が人として存在するためには、人を恕すことが不可欠ではあるまいか、
飢えに飢えた人間がどんなものでも口にするのをあざ笑う風潮は
必ずしも幸福につながらないと私は思うので、
彼女らがまず自分を満たす方法が、一般人には目をひそめるような行為でも
それを受け入れている社会活動は必要と私は考えている。
まともな部屋の清潔な布団で毎日寝て、起きて、親が朝ご飯を食べさせる
そんな家庭で育ったわけではない人間はこの世の中には存在する。
その貧しさゆえの迷走を笑うことは簡単だ。
でも、それを笑う人間の心性の深刻な貧しさに私は本当にぞっとする。
叩くべきはどちら側か、私の中では決まっているが、
それはどうやら一般的ではないらしい。私もまた、生まれ育ちは貧しい。