「善意のデマは悪意に満ちた真実よりたちが悪い。」

はてなはトンデモ医療には厳しいが、教育関係のデマには甘い。

「いっぱいのかけそば」風の素敵な釣り増田がどういう目的でかかれたかわからないが

私が驚かされるのが

「この汚らしい世界でたった一人素晴らしい自分!」が信じられる

「自称、貧しい育ちで努力して這い上がった私!」がはてなに多いと言うこと。

底辺育ちでも頭が良ければ「私だけが特別!」なんてうわごとは信じない程度に

超現実主義者になるもんだが、はてなは中途半端に恵まれた連中が多い。

増田に「勉強の話相手がいなかった!」とは

中学で2番以下ははるか底しかいなかったのか、で、

ましてや進学校に入っても相手がいなかったって

県下で30番以内なら君以外の29人はどこに行ったんだ?

と、昨日斜め読みした自称底辺田舎育ちで「都会の国立大学院卒」の

つっこみどころをいちいち示すのは馬鹿馬鹿しいが、

「地方の国立大学より上の大都会の国立」となると

旧帝大しか思いつかないので、増田は旧帝大卒業者と思われる。

でも文系か、理系かもあいまいで、

一定の年代で文系院進となると

貧しい育ちの人間ならかなり将来をしぼって考えているはずなのに

唐突に東京の離島で参考書を作ろうと思った!なんて、

もうこの増田に「俺も苦労したから増田の気持ちがわかる!」って連中は

どこの精神科病棟から書き込んでるんだ、と私の心が病みそうだ。

増田は「自分世代にまだネットはなかった!」を連呼するので、

私よりはるかに若いとも思えない。

のわりに、「周囲は中高一貫で塾代に年100万!」って、

そこまで塾代が上がったのは年代が限られる。増田の年齢設定はがばがばだ。

教育系のデマはいくらでもとばしてよいってことにいつからなってるんですかね?

これはトンデモ医療系デマと同じくらいやっちゃいかんことなんだけど、

それがわからない人間がはてなには多いのだよなあ。

「希望を失わせる気か!」と責められるのはよくわかっているが、

希望は正しく持たなければ妄想にしかならないので、

こういう社会病質的なエントリを無条件で受け入れようとする、

教育って何のためにあるんだ?とたずねたくなる馬鹿ブクマたちにはあきれ果てる。

念のために書くが、私の娘たちも塾にも中高一貫校にも行ってないのでな。

私と同じ地元の評判最底辺な中学から進学校に行って

大都会の超有名大学に入っているんで、増田と同じ状況だったけど、

「底辺では仲間がいなかった!」なんて思ったことはない。

増田の書くものに煽り気質は感じられても、素の頭の良さは感じられない。

この馬鹿を無駄に煽ってる不愉快感、

トンデモ医療デマに虫唾が走る真っ当な医療関係者と同じものだと

私はおもうんだよな、私は真っ当に子供たちを教育したんで。

底辺育ちで頭の良い子は

自分だけが素晴らしい天才だったようには思わないって事実を

増田は知らない。

そのこと自体が実際の「底辺」を知らない増田の心の貧しさで、

お金のあるなしでしか世界が見えていない。

お金のない人間は全て低劣であるとは底辺育ちでも頭の良い人間は思わない。

それが本当に「優れた人間」の最低条件で

頭の良さは心の豊かさでもある真実に気がつけない程度に馬鹿であっても

塾に行かずに国立大学にいけた人間ははてなに多いようで、

世間一般でいうほど、公教育は無意味ではないな。

なんにせよ、善意のデマを徹底支持と煽る連中に、

教育の無意味さを突きつけられて、私は悲しいわ、

君ら、身につけた教育は飾りにしかならなかったのか、と。

はてなでは、

「都会、最高!田舎最低、貧乏最低、

でも、俺、私だけはたった一人、クソのような世界で一人で努力した!」

で、簡単に2千以上ブクマが集まる。

なんだか腑に落ちないエントリでしかないのに、大絶賛、

批判精神のないはてななんてただの衆愚でしかないと言うのに、

どうしたんだろう。

「教育とはぁー!」と「身の丈」問題に絡めてやってくれてるが、

増田は高い教育を受けたわりに身の丈以上になってないのを感じないかな?

参考書の編集者なら、地元の国立大学教育学部からでもなれるしな。

私の同世代で底辺中学で成績トップ、進学高校から東大に入った子は

官僚になったけどな。私より少し下世代でも同じ。

 この熱狂的支持は萩生田、憎し、で煽ってるのはわかるが、

それでも嘘増田を使ってまで、ってのが薄気味悪い。

 そのうち

「あの増田です、身バレするんで僕が作ってる参考書は紹介できないけど

あの頃、これがあったら、と思うネットのお勧め勉強サービスを紹介します!」

が出たとしても私は驚かないな。

それを使ってもたぶん地方から大都会の旧帝大にはなかなか手が届かない。

なぜなら簡単に都合の良い嘘を鵜呑みにする程度にしか能力がないから。

「希望」と「熱意」だけで偏差値が上げられるとは思うなよ。

善意のデマは踊り続ける赤い靴のように見える。

止まらない無意味な踊りをとめるには足をちょん切るしかない話を思い出す。

足を切る程度の勇気のある人間がこの先どの程度いるのか、

はなはだ疑問で私を不安にさせる。

 いやはや。