「弱者の気持ち、わかります!」なんて奴にろくな人間はいない。

と断言できる程度にええ年になったおばはん。

琥珀先生がまたぐずぐずと何やら煩悶されているようなので読んでみたが

だらだら長々書かれていたところでさほども自分で答えが出ていないようで、

そういうのも一種の「強者しぐさ」に見えるかもしれんなあ、などと

身もふたもないおばはんは思うのであった。

そもそも立花某もまた強者であって彼は「弱者の気持ちがわかる」のではなく

「お客様は神様です、、」と顧客のニーズにこたえられる程度の話なので

川上某氏も何をうわごとを言うのやら、

私はこの方ははてなの秒速氏をどこまでもかばった時点で

弱者云々にかかわるべき人ではないとみなしている。結局かの裁判はどうなったかね。

弱者を利用するだけ利用して思ったように動いてくれなくなったときに

情け容赦なくたたいて捨てる力を持っている人間のお友達が

「なんちゃって弱者の味方」と対話して、何が得られると思ったやら、

そもそもそんな時間の無駄ができる時点でとんでもなく

「強者やのぉ~」と感心してしまうわ、

要するにこの人は「誰にでも好かれる自分」をあちこちに認めてもらいたい、

「誰のことも嫌いにならない自分」でありたい、と思っているかもしれないが

実はそう「思ってもらいたい」を認めたほうがもっと別の考え方もできるのかも。

ネットで20年近く書いている間に様々な弱者論を見かけて、

そのどれもが大体自分に「利」になるようなものでしかないのにはあきれている。

それ以上に「なんちゃって弱者」「弱者の群れからたった一人這い上がった私」など

なんとまあ、フィクション性にあふれていることか、ネットの「弱者」というものは。

私が知っている「弱者」の一部には

東南アジアから夜の仕事のためにやってきた母親の胎内で運ばれて、

いつの間にやら生まれ育って、小学校に上がるくらいの年まで

住んでいる国の誰にも発見されなかった子供であったりして、

近所の通報でようやく社会につながったものの、その後どうなったかわからないほど

大変な事態となったよう。それでも生かされてきたのは奇跡だったりはする。

それでそういう立場の子供の気持ちが私にわかるかといえば、到底わからないので

「すいません、わからないですね」がもし「わかるか?」と聞かれた時の答えだ。

私は社会の底辺である専業主婦という名の弱者だからか、聞かれたことはないが。

最近は弱者差別のほうが深刻な気がするので、

「気持ちがわかるか!」なんて聞いてくる「なんちゃって弱者」の相手をするより、

むやみやたらに攻撃的なネットの差別言説をどうにかしたほうが良いと私は思う。

弱者が弱者であるのは、結局言葉の世界でもおもちゃにされるからなんだよな、

本当に情けなく思う。終わり。