雑談。

「嫁にもらってやった」のお言葉がいまだに通用するらしく、

世間は私が思っているほどすすんでいるわけではなさそうな、

考えてみれば今はてなのホットエントリに必ずある

「アンチフェミ」なんてのは形を変えた女性蔑視表現だから、

姑息な形でいつまでも差別意識は残るんだろう。

昨年からひどい形で続いているフェミニズムバッシングだが、

よくまあ、こんなのを見つけてきたな、の極端な意見をあげつらって

それをフェミニストの総意であるかのごとくいつまでも揶揄する、

この異常性はもう社会現象にしてもよいような、

そんなに、この世の中、女性が生きやすくなっているか?としみじみ聞きたい。

娘が二人いるからかもしれないが、

世界はいまだに若い娘にのしかかるように出来ているのがわかる。

要は、もっとも弱いものに負担をかけようとしている、と言うことよ。

「弱者男性が!」とよく言われるが、それよりは「弱者女性」のほうが多いだろうに、

しかも「弱者男性の代弁者!」なる人間は実際は弱者男性ではなさそうなんだよな。

中途半端に恵まれているのに不満を持った層がいつまでも「フェミがあ!」と

言い続ける、それをするメリットが大きいからなんだろう。

「こいつはフェミだ!」と名指せば何をやっても良いらしい。

「そんなことを言うお前はフェミだろう!」と言えば、

いくらでも理不尽な女たたきをやっても良いという

この雰囲気はどこで醸造されてきたんでしょうな。

ある意味これは形を変えた「セクシャルハラスメント」、

今回話題になっている股間のラインが透けているアニメ絵は

ちょっとどうかと思うようなレベルで、それを許容しろ、と言うほうが

よほどどうにかしていると私は思うが、それが「またフェミが!」になる。

なんだ、こりゃ、と思う人間は「フェミ」だ「表現の自由を毀損している!」と

いやいや、どこでもこのての表現がオッケーってことはないでしょ、の指摘は

十分有効に思うが、とにかく「またフェミが!」にすれば堂々と女たたきができる。

場所を選べ、と言われていることを丸きりわからないフリをするのは、

「フェミが!」の一言で女を叩けるのがうれしくてたまらない、

こんなにも女を叩く道具が手放されないと言うのは、

やはりいまだ世界は女に生き易くできていない、

学歴の高い「生意気な女を嫁にもらってやった!」の意識が絶えないのは

当たり前の事実なんだろうことがよくわかる。

私がうんざりするのが「私はフェミだったけど、もうフェミはやめる!」なんて

「私はまとも」と宣言するのが「フェミではない」と言うことだと考える

馬鹿な女が出現し始めることで、

「フェミです!」と宣言することが「素敵な女」と思われるときは

「フェミ」を標榜し、

「フェミは辞めた!」と宣言するのが「わかってるいい女」と思われるときは

「フェミだったけど」の枕詞で「フェミ」を手放さない女をさりげなく叩きつつ、

「私、わかってる女だから」と馬鹿男に媚びる、

いつまでも変わらぬ女のもっともうんざりする点を見せ付ける、

この現象をネットで見ないようにするにはどうするべきか、

まあ、全てを「見ない」ようにすることだろうなあ。人が集まるからいつまでも続く。

女を叩きたい男たちはどこでも一定数存在して、

10年ほど前はその対象が専業主婦だったけれど、

いまや専業主婦は絶滅危惧種なんで次は「フェミ」ってことかもしれないな。

と言うことは、そのうち、滅ぶわ、フェミ。

「フェミ」の言葉が消えて困るのは、女を気持ちよく叩きたい男たちじゃないかな、

でもまた形をかえて女を叩き続けるだろう。

それが強者の特権であると、心のどこかで考える人間がいつまでもいると言うことよ。

フェミを叩くとは、基本的には社会で働く女を叩いているのと同じことだと

誰も言わない。

なんだかなあ。むなしくなるな。