手土産話。

古今東西、〇〇が〇〇を示す!「アイコン」(か?)は存在して

施設が半世紀以上たっていても「超一流!」と広報するホテルも必要とされる。

そもそも「(そこで働く)人材が最高!」などなどと

マスコミなどでうるさく広告しなければいけない時点でだいぶん「アレ」だけどな。

手土産もどちらかと言えば「味」よりは「それを買える人間がステイタス!」な意味の

「モノ」もあったりして、東京の某・紹介なしには買えないクッキー屋も

その一つではないか、かのクッキーはまずくはないけれど、

かつての製法をいまだに守っているそうで、添加物なしに日持ちするよう

固く焼しめているように感じた。年寄りにはきつい代物よ、、

かのクッキー缶の存在意義は、紹介者なしには買えない、

注文するときはまとまった数にする、など、

それはそれはアレやコレを「もってます!」感をあらわにして、

実は差し上げるとかえって失礼に当たる場合もあったりする。

世の中、そこそこのご家庭の人間はたいていすでに食べていたりするのでな。

物珍しいので喜んでくれる人もいるし、そういう人に食べてもらいたいと

贈られるのなら素敵なものだが、医療関係者の手土産にするのは

なんとなく「我が家はこういう家なんですけど?」な「匂わせ」があって

若干、プレッシャーになってしまう気も。気が付かない人も多いだろうが。

以前、ツィッターの注目株で自称「私は生まれ育ちもよい本物の美女よ!」を

ウリにしている素敵キラキラ女子が存在して、

彼女のツィートによると「お金持ちの開業医の御曹司と結婚」で相手が

「東大卒」と匂わせに、わざわざ本郷キャンパス内にある「くろぎ」のかき氷だの

看護師さんたちへの差し入れに「村上開〇堂」のクッキー缶だのの写真を

いちいちアップしていたもので、私はこのクッキー缶の賞味期限が一ヶ月を

きっていたのを見て「なんだこの古いクッキー缶」と思う人がいなければよいのにね、

と心から願ったものだった。自称・超一流企業の「出来る!秘書」であったけれど。

要するに「私は本物よ!」を披露するのに紹介制クッキー缶を使う、

某・クッキー缶はこういう用いられ方もしているので、

ある種の世界ではあまりありがたがられなくなっている。

それでも持ってくる人は無邪気と考えてよいのかも。

妙な部分で評価が独り歩きするものは私は手土産としてはどうかと考える。

故にいつでもだれでも買える、味も保証付きの「〇屋」の羊羹は

手土産の最高峰ではないかな、私は虎屋は京都発祥らしく商売上手と思う。

「虎〇」でも、ある一時期だけ限定の商品や限られた人しか頼めない品を

お持ちするのがやはり「出来る!」人の手土産のような気も。

私は虎屋の切るオーソドックスタイプをいただくとややげんなりする。

1本丸ごと食べきるのは人数が必要なのでな。

故に一口(ではないが)サイズのをくれる人には無限の信頼を置いたりする。

世の中はいろいろ。おばはんの手土産話、おわり。