嗚呼、いかにも「朝日新聞」!

先程朝日新聞の社説「余滴」、「ブログ炎上、話せばわかる」を読んで、いやはや、いかにも「朝日新聞」と、
このコラムを書いたのは浜田陽太郎氏、社会保障社説担当ということだが、
はじめから「区議がかわいそー!」で、それをもっともらしく書いているのにうんざりした。
内容は先日の杉並区議員のブログの件で、この区議と会って話を聞いたところ、
「「私自身、保育所を増やして、待機児童を解消すべきと考えているんですが」とあまりの反響の大きさに困惑している様子だった」と、
いかにも「無実の罪でネットの悪意にさらされた」と言わんばかりだ。
かのブログから引用しているのは、母親たちの異議申し立てについて
「お願いです、私たちの子育てを手伝ってください、というのが親のマナー」だけで、
前後の母親を苛立たせる部分など一切ない。
社説は「話せばわかるはずなのに、これだからネットは、、」と匂わせているのがありありとわかる。
「話せばわかる」の言葉は誰が言ったのか、朝日新聞を読む高齢者層にはすくなくともわかるだろう、
「問答無用」で殺された政治家だ。
その逸話が本当かどうかはこの際なしにして、同じ「政治家」といえど、果たして彼らが同格の人間であるかどうか、
私は甚だ疑問に思うが、浜田氏には「同じ暴力にさらされた!」で問題ないんだろう。昭和の政治家も落ちたものだ。
社説によると区議は浜田氏に会う直前に異議申し立てをした母親グループのひとりと月刊誌の企画で対談したそうで、
その母親は「私たち親が「子供は社会が育てろ」と要求しているわけではない。そのことを説明できてよかった」と、
一方的に「要求だけ押し付けてきて!」と高圧的な態度でブログを書いた相手に対して冷静で柔軟な対応を見せている。
それにたいして区議は浜田氏との取材の最後、ポツリと「確かに私のブログに毒はあった。でも、対話が生まれたのだから薬もあったかも」などと、
区議には「いい薬」になった「かもしれない」が、忙しい母親にとってはどうだったのか。
ネットでしみったれたイヤミを言うバカったれにわざわざ「こう考えているんです」と
ただでさえ、小さな子供の世話に仕事に、と忙しい女性が足りない時間を割くことに、どれほどの「薬」があったのか、
一言も書かない朝日新聞、社説担当者は本当に記者として公平な視線でモノを見られているのか。
それで最後に「毒にも薬にもならない社説」なんてお決まりの「自嘲」をひけらかされても「はぁー?」としかならない。
薬どころか、毒でしかないわ、それも微量な毒なので回る頃には完全に手遅れ、という恐るべきものでしかない。
微妙に歪んだ視線をごまかしながら書かれる巧みな読み物は本当に恐ろしい、としみじみ朝日新聞を読んでいると感じる。
なんにせよ、「男の同情」を区議と朝日者社説の書き手は共有しているのだろう。
そしてあいも変わらず、母親たちの生活は改善されない、ただひたすら個人が努力するのみだ。
本当に社会は「社会を憂えているカッコいい俺達」のものでしかないんだな、を実感する社説だった。
朝日新聞の購読をやめようかと考える今日この頃。バタバタしている日常でしばしネットを忘れていた私の目を覚ましてくれたわ。