雑談。

会田誠問題は「われこそが正義のフェミニスト!」のいいネタになったようで、いやー、やっぱりフェミニズムって役に立たんわー、としみじみする。
学問として承認された時点で、本質的な女の問題にはどうでもいいものになっちゃったんだろうな、
女の不快感は「社会に切り込んでいくカッコいいワタシ」の素材にしかならない、これじゃ一般女性に関わりのないものになるわ、
やってるのが結婚しても子供なんか産みたくない人だったりするし。
小倉千加子だったか、「結婚しているフェミニストは信用しない」と言ったのは。
私はもっと厳しくて「結婚しても子供はうみたくないフェミニスト」を信用しないな。
いや、フェミニストである以前に人間として信用しない、ごく身近にいる人間の権利を踏みにじる人間の何を信用できるというんだろう。
「結婚しても子供を持つかどうかは本人たちの自由!」「結婚は個人と個人の意思によるものでー」というのは理解できる。
でも、結局「結婚」って配偶者の親族も、自分の親族になる事なんだよね、相手の親族からその縁者となるべき存在を奪うのはそんなに「正しい」ことなのか。
そもそも、息子の子供が欲しくない両親なんていないんでね、
夫はともかく、夫の両親の「孫」を持つ権利を奪う人間がどれだけ社会的に「立派」な発言をしていても私には「はぁー?」となる。
兄弟の配偶者がそう言う人なんで。
年とった夫婦は大事な息子の妻に「子供を産んで欲しい」なんて言えないんだよね、息子を困らせるのを知っているから。
たとえ息子の妻なる人が「あなたの息子の子供なんて、私には何の役にも立たない存在だから産む気はありません、
孫を産んでくれない私を恨むんだったら、そういう配偶者を選んだ自分の息子を恨んでください」
とはっきり言ったとしても、たいていの夫両親は「はい、そうですか、こんな息子と結婚してくれてありがとうございます」
と頭を下げるだろうしね、親というのはえらいね、自分の子供の幸せのためなら、どんな苦痛も飲み込もうとする。
でも飲み込みきれないもんだから、運良く別の子供がいたらその子供に愚痴る。
「何がいかんかったんだろう」と。
アホな息子が悪い、は本人たちにとってはよくわかっている、
でもやはり、何故一生をともにしよとする人間の子供を否定できるのか、私世代の両親では理解できない。ただ悲しむだけ。
「社会正義の活動に忙しすぎて、子供なんて産めません!」ってのはとても素晴らしいお題目だ。
「私はその気になれば責任もって子供を育てることができる人間なんですよ」ってことだもの、
「でもあなたの息子の子供を産むような馬鹿なことはできません」ってか。いやはや、種を絶ったほうがいいようなバカとなんで結婚して生涯を共にするの。
慈善活動?ああ、どうもありがとう、親族としてはそう言うしかないわ、私に連なる遺伝子を徹底的に否定してくれてどうもありがとう。
私も子供なんて作っちゃいけなかったのかもね、「社会」のために。
社会ってある種の人の「素晴らしい私をたたえる舞台」でしかないのかも、ってのはよく感じる。
「素晴らしいフェミニズム」とは「結婚しても子供なんて産みたくない私のための素敵なフェミニズム」とはっきり言ってくれないものか。
そうすればあきらめもつく。
年をとっても、本当はいまだ息子の子供を諦めきれない両親の嘆きをもう何年も見てきた私はフェミニズムはより弱い人を踏みにじる為の学問なんだなあ、と、実感するだけ。
「私は夫の親族にも認められてます!」とこの手の人はよく言うけど、息子を人質に取られているようなもんだから何も言えないのが実情。
私も何も言えない。でも、この手の人たちの「フェミニズム!」を私は信じない。