「おたく」は本当に「キモイ」のか?

最近、「おたくは処女好き」だとか「故におたくはキモイ」説をちらほらと見かけて、
古手の「おたく」を配偶者にもつ私としてはずいぶんと乱暴な話だな、と思う。
「おたく」をひとまとめにして語るやり方はまるで「フェミニスト」と言えば「田嶋陽子」の「イメージ」しかもたない
田嶋陽子さんは悪い人ではない、と聞いたことがあるけど)反ジェンダーフリー論者とほとんど変わりがなく、
それをやっているのはジェンダーに知識を持つ人であるのがなんとも、悪い冗談のような。
そんなに「おたく」的世界観って憎むべきモノですかね。
確かに「少女」を「モノ」として「消費」していると感じられる映像や漫画はあるようで(詳しく見たことはないが)
それをいい大人が愛好するのは「いかがなものか」と批判するのはあってもいい視点と思うが
「だからおたくは処女志向でキモイ」とするのは「表現の自由」を「フェミニズム価値観」だけで断罪しているような、
また、その「価値観」に乗ってネットでものを書くような「男」が
(申し訳ないがネットで頼まれてもいないでものを書くとは世間的には間違いなく「変態趣味」に見なされる。当然私も「変態」の1人である。)
「おたくはキモイ」と叩くのは、ある種の痛い女が「フェミニストなんて怖いですぅー」と
それでひっかかる安い男に媚びているのに似ていて情けない話だ。
世間一般の「おたく」の定義づけとは曖昧で、バッシング用語化しているようでも、その「実態」はつかみ切れていない。
自分自身が「おたく」であると考えている人間でもひとくくりには出来ない「違い」があり、
私が思うのに「おたく」としてまとめられている一群は、むしろ「ふつー」の「男の子」達ではないか、
「ふつー」の男の子達が異性である女の子に淡く憧れを抱く、その入門編が「アニメ」なのはそんなにも否定されるべきことか。
大体、子供の頃は女の子の方が学校でははばをきかせているものだし、体の成長、精神的成熟も女の子が遙かに早い。
現実の女の子のまぶしさに気後れして、それでも漠然とした「何か」を求めて2次元の世界に入っていくのは
息子を持たない私でもなんとなく想像できる。
生身の女の子に向かう準備段階としての2次元は決して悪いものではないだろう。
問題なのは成人になってもその世界を愛好することだろうが、
私が思うに、今、「大人」世代の男性とはまだ「可愛いもの」を愛好することをおおっぴらに許されて育ったわけではなく
「男らしさ」の圧力の元、そうした「価値観」を否定されてきたことがひずんで、幼い少女の「イメージ」を愛することへ向かわせているのではないか、
アニメ2次元少女は、本当に「セックス」のためだけに愛されているのか、むしろひそかに「可愛い」を愛でる心がこうした形で出ているのではないか、
私のように専業主婦としてもっぱら「女社会」で生きている人間にとってこの世でもっとも繊細でロマンチストな「生き物」とは
「男性」でしかないので、創作の「ロマンス」の世界に浸るのを「キモイ」と見るべきかどうか、迷うところだ。
既婚女性でも割と「ふつー」に「腐女子」趣味の人もいるし、
(そして息子がいたりする、一度おそるおそる息子に対してその手の妄想を抱くのか、とたずねると
「それは別腹」と言われて、未だその解答が何を意味するのか理解しかねる腐女子趣味のない私である)
それで日常生活に支障をきたすというわけでもなく、特別「キモく」もないので、
男性の趣味の一つで「キモイ」とするのはまちがってるんじゃないかな。
ま、よしながふみのゲイ男性なんてウソっぽいし、でもそれはそれでいいわけで、
結局、「おたく」とされている人の中でその「傾向」のために現実の子供や女性に手をかける人間がどの程度いるのか、
気に入らない人間を「おたく」と総称して断罪するよりもきちんと検証して欲しいものだ。
それにしても男性を「おたく」とさげずむのと、女性を「フェミニスト」と笑うのとはにてるなあ、と改めて気がついてしまった。
獰猛な女ばかりの弱肉強食な世界に生きる私にとって、男性の次にロマンチストなのはフェミニストであったりするので
どちらも「守ってあげたい」存在だったりする。
「おたく」趣味のせいで結婚しないの説もあるが、それよりは経済状況と「出会い」の場がないのが問題じゃないか、
時々「婚活」なる言葉を見かけて考える今日この頃。「おたく」趣味が「キモイ」とか言ってる人間の方が「キモイ」と思ったり。