雑記。

「結婚は金と顔の交換」と、いつどこで読んでも腹の立つ言い回しだなー、と思っていたのを言葉にしたら
たくさんブクマがついて、びっくり。
林真理子の話や、結婚とセックスは別モノだとか、どの程度の年収を考えているのか、とか、
考えさせられるブクマコメントが多かったのにも驚いた。
もっと叩かれるかと思ったけれど、意外に反応が「大人」で、みなさん、すごいわぁ、、、
ま、こんな内容にマジギレする方がどうかしてるけど。
多分、私はフェミニズムジェンダー論に期待するものが大きすぎるんだろう。
フェミニズム若い女性の仕事や結婚をテーマとして取り上げるのなら、
その現実的な苦悩に寄り添う実用的な思想であって欲しいと常々思っているのだけれど、
社会的にはまだまだ弱い立場にある女性を背中から撃つような発言があるのでがっかりさせられる。
それなりに教養もある今の若い女性は、フェミニズムジェンダー論に無関心ではないから、
自分を引き裂くどんな酷い意見でもジェンダー風味をまぶして書かれれば、受け入れざるを得ない気にさせられるんじゃないか、
フェミニズム風味の「若者バッシング」と、私には思われる内容が時々あるんだよなあ、、、
様々な批判を当然のものとして受け止める覚悟で書くが
今の社会の階層は、いわゆる強者男性をトップにして、その次に位置するのがフェミニストであるかのようだ。
そしてその下で、右往左往するごく普通の男性と、その更に下に無数にいる消費される女性群、
女性たちと同じ位置にいる(かもしれない)男性がいる、と
まあ、私の単なる「感覚」だけで書いているんで、その「ソース」だの「データ」だのを出せ!と、とんちんかんな反応をされても困るんだけど。
「結婚は金と顔の交換」と説く小倉千加子の立場は、結婚という制度そのものに懐疑的なので、皮肉な書き方にもなるだろう、
結婚なんてする方が馬鹿げていると、その制度を利用する無数の人間を揶揄する意味で書いていると私は理解している。
ただ、「結婚」という制度の枠外で強く一人で生きていける人間が多く存在するわけではない。
だから人は結婚と言う手段を選び、出来ることならば生涯伴侶として共に人生を歩んでくれる相手を探す。
年収の高低に関わらず、本当に女性の「顔」だけで選んでいる男性は多いのか、
そして本当に女は「顔」だけでしか選ばれていないものか、簡単に「金と顔の交換」とあっさり言えるものだと私は思わない。
それは人というものをあまりにもバカにしすぎではないのか、
「結婚は金と顔の交換」に大いに納得している人とは、「自分以外はみんなバカ」と考えているのじゃないか、
人間とまともに向き合っている気がしないなあ。
小倉千加子は、確か上野千鶴子との対談集「ザ・フェミニズム」で「結婚しているフェミニストは信用しない」などの考え方を示していて、
「産まない権利を主張するフェミニズムは結婚を全否定すべきである!」と、立場が明確なのはむしろ好感を覚えている。
フェミニズムを唱えながら中途半端に結婚をして、
その配偶者が子どもを欲しがっても「産まない権利」を振り回す人間よりはずっとマシかもしれない。
少なくとも、「結婚」をしなければ、配偶者の子供を持つ権利を奪うことはないものね。
ジェンダー論を書く人にとっては、まるで「バイブル」のように扱われる小倉千加子の「結婚の条件」だけれど、
あれは私は軽いエッセイ集として読んだ。そんなに深読みするような内容じゃなかったような、そのうち再読してみよう。
多くのブクマコメントには考えさせられました。どうもありがとうございました。