愛していれば、見捨てられる。

と、昨日見た千葉の強姦弁護士妻が自身も暴力を振るわれて別居中でも

離婚せず、支えると裁判で証言したらしいことを読んで、思ったことなど。

40前で子供もいて別居中とはいえまた既婚者で、にもかかわらず

20代前半の女性に暴力をふるって強姦した挙句止めに入った男性に

さらに暴力をふるった上「社会の底辺!」と暴言を放った男を

「支える!」と宣言するのは「美談」でも何でもないんだけど、

こういうのを良しとする文化が裁判にあるとしたら、

ジェンダーエクィエティなんて夢のまた夢、

「耐え忍ぶ妻の鏡像」を前面に押し出す弁護士の年齢と名前が知りたくなったわ、

いくら子供がいるとはいえ、むしろ子供がいるからこそ、速攻で離婚、

と考える私は自分が間違っているとは思えない。

弁護士を続けてもらわねば困る、の今後の計画があるのか、

裁判が終わった後に即離婚して山のような慰謝料と養育料を支払わせるためならば

理解できなくもないが、そこに「愛」はないわな。

弁護士資格を失っても婚姻関係を続けるかどうか、

「見捨てない!」宣言をすることが「家族愛」ではないだろうにな。

今思い出したのが、かつて「ぼくらのな〇やさん!」と妙にはてなでもてはやされた

秒速氏が不倫相手に「反省してまーす!」となくなるはてな日記で

宣言していたのに、こっそり不倫相手を訴えていたことであの裁判はどうなったのか、

あれも配偶者がまともな感覚の持ち主であれば

とっくに離婚してもおかしくない話に思えたが金が絡むとなかなか別れませんな。

そういう人間が配偶者であるのも大いなるストレスであるとの認識を持っている

おばはんであった。

正しく相手を見捨てられるのも愛であるの認識も社会で一般的になるべきだな。

どこまでも生臭い事件であることよ。

ところで、この件で夜のお店であってもいわゆる「反社」がかかわっていない

クリーンなお店があるんだな、と驚いた。

もし、反社な方が店の後ろに入れば「先生、とんでもないことをしてくれましたよね」

とどこまでも脅されそうな気も。最近の反社はどこでしのぎを削っているのか、

やはり仮想通貨関係ですかね、、、

とりあえず夜関係とは言えちゃんとした店に勤めている労働者の権利を

裁判は守っていただきたい。おわり。