山本某氏が配偶者と対談しているサイトに元外資女史の連載があり、
2017年11月30日に「別居婚で愛が育まれている!」とあったが
2018年の正月に彼女は離婚していると発表していたので、
これはは○ちゅう女史の「妊活詐欺疑惑」よりはるかに確実な
「別居婚愛詐欺」にあたるような。
はてなブログで離婚発表の折、
「離婚しても仲良しです!」と言い訳がましかったのはこのせいか。
このサイトで山本某氏と元外資女史は仕事をしているので面識もありそうだ。
二人は売り出し方も書き方もよく似ているから気も合うことだろう。
某サイトで某氏は「妻に悪者になるなといわれた」「妻には人を見る目がある」と、
つまり自分は「善人である!」と強調しているが、
大学の後輩で自身よりはるか年下の女性にねちねちいやみったらしい記事を書く男が
善人には見えないので彼の細君に見る目があるとは思えない。
間接的に自身をよりよく見せる書き方は元外資女史も多用して
わたしは二人の書くものを読むと結局「俺、あたし、最高!」と
彼らがいかに素晴らしいかを押し付けられるので
まだ自己啓発本でも読んだほうがましな気にさせられる。
彼らは何故、お仲間であるは○ちゅう女史を組んで糾弾したがるか、
は○ちゅう女史は毒親育ちを標榜しているわけではなさそうなので
その売り出し方で一線を画したのが気に入らないのか、
少なくとも、二人が妊娠、出産と言うデリケートな性的な部分で
他人の領域を犯すことにためらいがなかったのは
「結婚するまで童貞!」「レイプ被害者!」の
彼らの性の経歴が詐称だったの証明だと私は考えている。
自身が性的分野で詐欺を行っていれば、他人もそうだと思い込むだろう。
語るに落ちるとはこのことだ。
は○ちゅう女史と元外資女史は同年代で似たような領域をさまよっているが、
私がもし若かったとしたら、は○ちゅう女史を好んだと思う。
彼女の書くものは、軽い。
他の二人よりはるかに勝るのはこの軽さで、読み手に負担を与えない。
一方、二人が書くものはどこかで読み手を見下して、
俺、私はこんなにすごい!をくだくだしく内容に織り込むので、文章が重い。
特に元外資女史はこちらに説教をしてくる文章なのでうんざりする。
書き手が優越感を隠しきれない文章は醜いと、読み比べてしみじみ思った。
ものを売るならは○ちゅう女史が書くほうが多くに受け入れられやすい。
故に仕事も多いだろう。諸々の騒ぎはその嫉妬か。
今回、思いがけずは○ちゅう女史の魅力に気がついたが、
私は既に若くないので、はまることはない。
ただ金輪際、山本某氏と元外資女史の書くものは読むことは無い。
売り込むのはこんなにすごいオレ、ワタシ、だけでは読む意味がない。
このたびもずいぶん時間の無駄をした。反省している。終わり。