老いを重ねる。

距離的に近いので時々下の娘と話していると、少々心の弱ったことを話したりして

反省している。東京の上の娘には心配させまいと、頑張っているのだけれど。

ふと「あなたたちを外に出さなかった方がよかったと思うこともある」と話した時

「ママは今暇なのね」と下の娘には断じられて、この子は私がエモいことを言うと

大体「ママは暇なのよ」でかたずける。それで私は目を覚ます。

娘は母親の「老い」はあまり見たくないのだよな。

それは現在の私がまさにそうで、90代の義母は基本「他人」なので

あまり気にならないが、80半ばの実母の衰えぶりを目の当たりにすると

心がかなり消耗する。情けないことに。

先日、母を病院に連れて行っていた時に、唐突に話された内容が

時間も空間もそこに出てきた人物の名前すらも、まったく整合性がなく

これは話を頭の中で作っているのか、それともごちゃごちゃになっているのか、

そのことが起こった時、私は物理的にそこにいなかった、などなど、

突っ込みどころは満載であるものの、私はもう今は黙って聞いている。

以前、アルコール依存で手のかかった実父を病院に何とか放り込んだのは

私だったのに、母の記憶の中では別のところに住む兄弟がしてくれたことになって

結構脱力した。私のあの兄弟たちは最後まで反対してたんですけどな。

そういう記憶の書き換えとか、あれこれ、もう「老い」以外何物でもなくて、

私は、だからそういうのを娘には見せたくないなあ、と考える。

でも、やってしまうのかね、今電話で話してしまうように。

出来る限り、そういうことは「ない」方向で、頑張りたいと思いつつ、

かつての両親が近くに住む私にはともかく、都会に出た兄弟たちには

自分たちの衰えを見せまいと何とか頑張っていたことは必死であったのだろう、と

迷惑したけどねっ!も含めて私はつぶさに老いを見て付き合っていこう、と思う。

自分の衰えと付き合いつつ、身の処し方を考えないとな。

割と義両親の在り方はちゃんとしていて参考になる。

良い結婚が出来た、と時々思う。