現在90代の義母が長らく続けているお稽古ごとの送り迎えをしている。
いわゆる「和芸」の一つで、お稽古友達はマイダーリンが通っていた附属校の
お母さま方ばかり。
この「ザ・昭和のマダム!」のえげつない感じはまたそのうち書くことにして
送り迎えの車の中で義母は小さな女の子が話しているようで
「あの子は嫌い」「変わっている」などと一緒にお稽古をする人の中に
そりが合わない方がいて、愚痴が多い。
ならば通う時間や曜日を変えればよいと思うがそれはしない。
気の合わない人間とでも「集団」として成り立っているので一緒にいようとする。
個人の意向で群れを外れる決断をしない、ぶつかることがあっても一緒にいる。
「集団」の中の人間として育った昭和初期の人間らしい。
昭和40年代生まれの私世代になると「個人」をそこそこ教わっているので
不愉快であればそこから離れる選択肢も思い浮かぶのだけれど、
戦時中に子供として育った義母にはその発想がない。
群れから離れることがほぼ「死」に直結する戦時下で育ってきた人間特有ではないか、
そりが合わなくてもやり過ごす、ある程度はお互いさまと考えるようにしているのか、
と、気まずい人間関係からは離れることでやり過ごすばかりの私は感心するのでした。
「集団行動」を我慢してでもやり続ける、は一定の教育が入らないと出来ないだろう、
そこから離れることも、やはり教育が必要か。
私も「昭和マダム」の最後の世代だろうが、義母世代ほど、
ぐつぐつと煮出したような人間関係の中にいることはこの先なさそうで、
ほっとしているような、残念に思うべきなような。
真正「昭和マダム」の話ことばは独特で、特に付属校にお子様を通わせていた
「ザ・マダム」たちは80~90超えても私にとってはいまだ怖い存在だ。
出来ればお付き合いは義母の送り迎えだけでやり過ごそうと日夜努力中。
たいていのものは怖くなくなっているアテクシのようなおばはんでも怖いものはある。
おわり。