雑談。

ふと、カエルは大海で泳げるか?と思ったり。海水じゃ無理なんじゃないか、まさに「水が合わない」、なんちゃって。
ここ数年、横浜と都内を行き来することが増えて思ったのは、都民と横浜市民の中には独特のスノビズムを持つ人達がいる、ということで、
そのスノビズムが地方独特の「のんびり感」を特に嫌う印象がある。親戚が地方在住者の私を嫌う、というのではないのだけれど。
多分「緊張感が足りない!」的な、こちらにはこちらのやり方があるが理解してもらえない、こちらもそれにはイラッとくるんだが、
もめても仕方がないので、こちらがこれでいいと思ったことはだいたい思った通りにしている、結果、その方が良い場合も多い。
それはともかく、その独特のスノビズムというのが地方にはない、とは言えなくて、私が住んでいるところでも、私が属している場所ではないが
これに似たような形態の集団というのは存在する。
多分この集団がいわゆる「中流」というもので、昔は「プチブル」と呼ばれた(と言いつつ、「プチブル」の語源は今の使われ方と違うらしい)
人たちではないか、ある種のこだわりが強い層というか、例えば子どもの教育に関して独自の枠組みを持っていて、
それに外れた人間は永遠にダメだのように「イレギュラー」を異様に嫌う。
私が今住んでいるところなどはその手の人たちが嫌う場所で、論外のような評判の地元校に子供を平気で通わせたりして、
でもその子供たちの出来は想像されたよりはるかに良かったり、私は「うちの中学、ヤンキー偏差値、常に70を切ったことがありません!」なんて
ついお笑いをとったりして、いよいよ彼らからの嫌われ感が増すな、書いていると。
まあ、私もその手の人たちとは付き合わないし、好きではない。
でも私のご親戚は割とその手の人たちと仲が良い、というか、彼らも決して悪人ではないんで、だから私の親戚の言動もかなり影響されていると思っている。
私は、都内から川を渡るとぐっと地方感が増すのにはホッとするので、地方出身の人達が多くそこに住むのは理解ができる。
地方の人間には川を渡ると「親しみ」を感じるんだな。でもその親しみを嫌う人はいるのだろうは想像がつく。そしてそれがそこに住む人のは迷惑な話なのもわかる。
私も「えぇ?あんなところ?」的なイヤミを時々地元にいて言われることもあるんで、ムッとはするものの、特に波風立てずにやり過ごしている。
否応なくある種の集団に属することになるとは窮屈だな、とあらためて。