中年がいつまでも若者気分でいる問題について。

はてなの話題にいつまでも「サイゼ・サイゼ」と

うんざりを通り越して憎しみすら覚える。

それは広告ではなく何かの脅迫であるかのよう。

私は力の限り「餃子の王将!」と叫びたくなる。好きなので。

都内在住の娘は人とゆっくり話したいときは「ルノアール」と言う喫茶店

使っている。経営は大丈夫なんだろうか、と思われるほど長居ができる、

故に怪しげな取引をしている人間が常にいて、しゃべりつかれたときに

となりから「営業トーク」が聞こえてきてスリリングでなかなか良き、と。

娘も立派なアラサー女子でさほど値段も張らず、人とゆっくり話す店ぐらいは

いくつかストックしてそれがまともな「社会人」として成長してきているかの

「踏み絵」ではないかと私は思うが、

ネットはいつまで「サイゼ!サイゼ!」と言い続けるのか、

「女はいつでもおごられると思っている!」なんて話だが

アラサーの私の娘世代は「おごられ文化」で育っていないので

「学生時代に散々使ったサイゼに私のお金はもう使いたくない」が正当な答えで

「食べたいならお一人のときにどうぞ、いつまでもサイゼの人とは付き合えません」が

結婚市場で優良株女性たちの本音だ。

おごられる気のない、まともに成長を遂げている人間と親しくしたい気持ちがあるなら

ファミレスでデート!なんてのは思いつくはずがないんだが、

何重にもおかしなこのいつまでも「サイゼがぁ!」論争、

「ネットの若者はとっくに中年問題」の一つとして認識されるべきではないか、

ネットの少子高齢化は現実の世界以上であると、しみじみ思う私であった。

どんな麵でも残さない!のが私の信条であったが、

一度だけサイゼのトマトパスタはあまりのまずさに残してしまった。

あれほどまずいパスタを冷凍食品ですら経験したことがない。

同じファミレスで値段は高くなっても鎌倉パスタに私なら行く。

カプリチョーザでも良し。

ところで学生時代、私は「壁の穴」に行くのを月1回のご褒美にして

今その店はもうないのでしょんぼり。

しかも、10年位前にどこかで見かけて食べたら記憶の味ほどおいしくなかった。

友達と楽しんだ思い出は輝かしいけれど、今の味に影響はしない。

しつこく「サイゼ!サイゼ!!」と繰り返す連中に憎しみを覚えるのは

成長しない俺たち!に酔っている腐臭が鼻をつくから。

どうにかしてほしいものよ。サイゼの話題はすでにネットのごみ。おわり。