読書メモ「熊と踊れ」アンデシュ・ルースルンド ステファン・トゥンベリ

2017年度「この・ミス」海外部門第1位作品。

ミステリーというより冒険譚、「クライムノヴェル」はミステリーか?

この作品を私は「親子の相克もの」として読んだ。

「確執」というにはあまりにも親子の間に愛情があふれて、

「家族の傷の物語」というべきか。このあたりがやや文学的である。

ザクッと筋を言えば、父親からすさまじい暴力の洗礼を浴びた3兄弟が

父親の影響を最も強く受けた長男を筆頭に現金強奪を企てる。

身体が丈夫で能力も十分すぎる3人兄弟と、

軍隊に入りたかったものの入れなかった、いまだ強いあこがれを軍隊に持つ

外れものの幼馴染、長男の恋人を加え綿密な計画を立てて実行に移す。

「暴力を俺はよく知っている!操れる!!」と並みよりははるかに能力の高い長男が

少年期に半分身を置く一番下の弟までも従えてまずは現金運搬車を襲うのだが、

ネタバレで書くが、実は彼らのどの強盗も計画通りには運んでいない。

一応「出来ちゃった!」ではあるものの、最初に描いたほどの結果、

金額にはなかなか至らない。

まだ少年の心を持ち合わせる弟たちの手前、長男は「他人は傷つけない」と

父親に植え付けられた暴力性をうまくコントロールできると信じて

実行し続けるものの、途中から、自分たちがやっていることはかつての父親同様

明らかな暴力であると見抜いた弟たちが犯行から抜けることによって破綻が生じる。

この作品の面白さは未熟な強盗犯たちを人間として魅力的に描き、

その彼らが暴力に心を侵食されていく過程を克明に記していく点だ。

暴力は理性で操れるものではなくたんに暴力としてしか存在しえない、

絶望的な理解に至れない、一番繊細で聡明であったはずの長男が壊れていく、

彼の哀れさは特別胸を衝く。

父親から受けた愛情に暴力が常に絡んだがゆえに3兄弟の中で一番父親を憎み、

同時に欲したのは長男だったの結論と私は思った。

また彼らの父親がろくでなしであるものの、人間味がどこかにある。

彼もまた自らの暴力性に心身ともに支配されているをなかなか理解できない。

妻に明らかな暴力をふるっても「これは暴力ではない」と信じている。

物語の中で父親がかつて子供を連れて実家に逃げた妻を子供たちの目の前で殺しかけ、

私は前々からこの手の話で不思議なのは、

殺すほど暴力をふるう相手がやってくるとわかっていて、なぜ準備しておかないか、

私だったら、今度は殺されるかもとわかっていたら刃物なり拳銃なりを隠し持ち

確実に相手が2度と暴力をふるえなくするのにためらいを覚えないけれど、

「暴力をふるう相手にその武器を取られたらもっと悲惨なことになる」と聞いて

「なるほど」と思ったものの、

殴り殺されるよりは撃ち殺されるか刺殺される方がまだましなような、

私は暴力に侵される男たちの心情には大いに同情するのに

暴力を受ける側の女性のやられっぱなしを容認する心情は理解できない。

私が暴力と共に生きてきた男たちにほのかな共感を覚えるのは

私もまた同類だからなのか、

暴力は常に貧しさとともにあり、身近に暴力の有効性を目の当たりにして育ったら

どこかで暴力を容認してしまうのか、そこが悲しい。

この作品は実際にあった事件をもとに描かれ、共作者のトゥンベリ氏が

事件の兄弟たちの、描かれなかったもう一人の実の兄弟で

作品の中に出てくるスウェーデンの法律には

「親族の犯罪計画を知って通報しなくても罪には問われない」らしく、

どこまで共作者が知っていたか、少々謎。

原題は「熊と踊る」らしいが、私は「熊と踊れ」の翻訳は抒情的で良いと思った。

この「熊」は「暴力」を現すのか、

「熊」とともに踊るには自分も「熊」にならねばならないか。

人間は人間である故に結局熊にはなれないようだ。おわり。