日記のこと。

私が紙の日記を残したくない理由は、実家の父親が何十年も書き溜めた何十冊もの日記帳があるからで、
兄弟たちはその処分を私に「任せた」というので、数年前まではそのうち全て処分しようと思っていたのだけれど、
先日書いた姑のものをすべて処分した人の話を聞くにあたって、私「だけ」の一存で処分していいものか、迷っている。
父親の縁者は「私」だけではないからなあ、、、
つまり、子供である私たち兄弟だけではなく、私たちの子供、これから生まれてくるその子供たち、が、ひょっとして、「読んでみたかった」と思うかもしれない、
私たち兄弟は読む気はサラサラなく、しかし、父親は何十年にわたって、同じノート、同じインクで綴っているのを見ると、
残す気マンマン、ってかんじが、実の子である私はその「ナルシー」部分に辟易とする、申し訳ないけれど。
それでも、「おばあちゃんのものを何かひとつ持っておきたかった」と子供に責められた人の話を聞くと、
私は父の写真までことごとく捨て去る気はないけれど、やはり残しておきたがった日記を処分するのはよくないかなあ、などと、
と言って、正直、有名人でも何でもない、やや「困ったちゃん」であった人間の怨念のこもった(?)日記を残しておくのは
これからの世代の「ごみ捨て」を残してしまうようで、どうしたものか。
その点、ネット日記はかさばらないし、サービスが消えれば失われる、それはそれで時代の波にさらわれた、でいいんではないか、
というわけで、私はよくわからないこの日記をせっせとつけて、結局、父親の「日記書き」という「業病」を私は受け継いでしまったな、困ったな、と思うのでした。
姑のものをことごとく処分した人はご主人との中が気まずくなっているそうで、でも私は実の母のものの処分を「忙しいから」で全て妻に任せた人間が
何年も経って、そのことに激怒するのは違う、と思っている。妻がそれをするまでに至った状況を少しでも考えたことはあるのかな?
ただ、お子さんにおばあちゃんのものを残さなかった、はやはり責められるだろうなあ、「私の子供のおばあちゃん」と一度も考えなかったのかな。
写真1枚すら残さなかった異様な熱意がちょっと怖い、一体何があったものか。
残す、とか、残さない、とかは難しいものだねえ、、