日常。

昨日、うっかり見たあの奇怪な文章を思い出すと、いまだにむかつくので全く別なことを書くことにする。
今年から下の中1娘が日記をつけ始めて、ほとんど毎日のように「今日はこんなことを書いた。」「今日は書くことがない」などとうれしそうに話す。
「もう二日分、書くのがたまっちゃった」って、それでも欠かさず続けているようなのが、可愛い。
なんで、急に日記をつけ始めたのか不思議に思っていたのだけれど、よく考えてみたら、小学生時代の6年間、使っていた「連絡帳」の下の段が
「日記」になっていて、毎日、下の子はそこにみっしりと日々の出来事を書いていた。それが「くせ」になったのかも。
暮れにわざわざ大きな文具屋にせがまれて連れて行って、念入りに選んだ大事な日記帳を、
まるで「見て」、と言わんばかりに毎朝、放りだしていても平気なのは先生や親がチェックする「連絡帳」のノリが消えないのかねえ、、、
もうちょっと成長したら、隠してくれるのかしら、、、
しかし、私も子供の頃、日記を放りっぱなしにして平気だった。
別に見られて減るモンじゃなし、と放っておくと、案外親も読まないようだ。今の私が読まないように。
なんというか、肉親の書いたものを読むって「照れ」が必ずあるものね、、
実家には小学生の時からつけていた日記の束があって、見る度、「どうしよう、、」と処分を考え込む、
小学校高学年頃から自分でノートを買って書き続けていたのがまだ残っている。中学、高校、大学、と結婚するまで、延々と書き続けた「日記」。
捨てようか、どうしようか、悩むところだ。
私の実家の人間は全員「書く」人で、書庫には、父が学生時代につけていた「日記帳」の束もある。
なんのかんのと兄弟も母親も、あれこれ書き連ねたノートや文集を大量に残していて、
はて、これはどうするべきか、あれはいつ誰が処分するものか、やはり実家の近くに住んでいる「私」なんですかね、
自分以外のものまで処分しなければいけないとは、、、って、兄弟には今度あったとき相談するか。
最近は、パソコンで日記をつけられるようになってよかった、もう日記帳が「かさばる」なんてことはない。
とはいうものの、下の娘にとっては日記帳が「かさばる」ことが楽しいらしい、そういうモンだったかな、私も。
上の子も、ダーリンも書いている人なので、なんのかんので、私たち一家は「書く、家族」、か。
実家も、現在も、全員が書いている。ああ、「かく、かぞく」、
それでいて、お互いのものを読むと言うことはないんだなあ、不思議なことに。
兄弟の上は前からネットで活動しているのは知っていたが、下もやっていると先日知ってびっくり。
母方の祖父母も書く人たちだった。書き続ける家系らしい。
下の子に「ママはずーっと、毎日書いていてえらいなあ」とほめられた。
ふふふ、君も多分、そうなるよ、10年後には「親子ダイアラー」かも。
日記は「続ける」ことに意味があるんだな、「続ける」ことは誰も阻めない。自分自身以外は。
ところで、もうすぐバレンタイン、下のお嬢さんは30人分の「友チョコ」を配るそうで、「90」個のクッキーを作ると、、、(遠い目)
上のお嬢さんは確か40人分がどうしたとか、、、経過は、また日記にて、とほほ。