日常。

入院している実家父のことで兄弟に電話して、話しているうちに全然意思疎通が行えていないことに愕然。
入退院を繰り返してもう3年が経つのに、入院当時にした話をほとんど覚えていない、その後のことも。
怒り、マックスになりそうになりながら、よく考えれば兄弟ももう50過ぎているし、
ここ数年、配偶者の持病やら、自身の病気やら、子供の進路やら、私生活が大変だったのもあるんだろう。
けど、ホンマに大切なこと、なんにも聞いてへんやんけー!って、それで思いつきをあれこれ言ってくれていたか、
なんにしても、実家母には電話してくれたようで、今朝、母から嬉しそうな連絡があった。
しかし、今回、話した内容も、どこまで兄弟は覚えてくれていることやら。
いろんなストレスを抱えているので、またすぐ忘れてしまうだろう。
で、都合のいい部分だけを覚えていたりして、こちらとしては「納得しているはず!」で了解しているので、また愕然とすることがあるかも。
親が衰えているってことはこちらも確実に老化していることなんだと実感。
ネットで「直葬」の記事を読んで、先日、兄弟が帰ってきた時話していたのはこのことだな、
兄弟いわく、都会ではこのスタイルが多いと、で、実家父はこのスタイルにしてもらいたい、葬儀に来るのは「家族」のみ、
血のつながりのあるもの、孫は呼んでもいい、でも私たち兄弟の「配偶者」は来なくていい、と
私と上の兄弟は誰に来て欲しくないと思っているのか、わかってしまったりして。
しかし、実家父はいつ死ぬことになるやら。
年をとると死ぬのも簡単ではなくなるのだよね、ある程度の「若さ」というか「勢い」がないと簡単には死ねない。
よく燃えている火に息を吹きかけて消すのは簡単だけど、燃えているか、燃えていないかわからないような火だとなかなか消えない。
ひどいことを書いているなあ、と我ながらよくわかっているものの、実感として書き残しておこう。
人は簡単に死ねないし、死ぬのも大変なんだよ、ということ。