雑談。

ネットで何か書くと、今溜めに溜めておいた怒りが暴発しそうで怖い。
私も年をとって、昔からさほどもなかった忍耐力がよりなくなってきたような。
しかし、言いたいことを我慢して10年あまり、この1年で本当に弱ってきた両親の嘆きを思うと書きたいことは山ほどある。
人から奪うだけ奪って恬淡としていることが「力」ではないんですよ、「力」とは他人に「与える」ことなんですよ、と
わからない人には決してわからないだろうから言っても無駄なんだよな。
「そのうち欲しくなるかもしれない子供」なんてのは、永遠に生まれない、それでも親は期待するんだなあ、してきたんだなあ、
そういう切なさをどうやってなだめればいいものやら。
私もここ数年、たくさんの葬式に行くようになって両親が子供のいない夫婦の何を心配するかを少し理解するようにはなってきた。
ただ、彼らのような夫婦は結構多いんで、彼らは自分たちに何が決定的に欠けているか気がつくことはないんじゃないか、
それがせめてものことだと私は思うが、私の両親は思わない、そのほうが正しいのかもしれない。
両親は私の子供たちに後を託したいようで、いやはや。実の両親が子供には頼らない生き方をしようとしているのにね。
親が年をとることをつぶさに見てきて、子供にはこういう思いをさせたくないな、と考えたり、でも全く辛い経験から遠ざけるのも違う、と思ったり。
辛い経験をさせないことはかえって子供から何かを奪うことにもなるような、そんな気もしている。
甘やかされきった子供の成れの果てを見てもいるから。
多くの苦労を重ねながら、人に常に与え続けている知り合いから「人の面倒を見られるのは幸せということよ」と言われ、
納得できるような、したくないような。
まだまだ修行が足りませんな。