雑談。

何故か大昔のブクマから検索が。
はてなに怪しげな集団が跳梁跋扈するようになって良くなった事が、金がらみ以外でブックマークがつかなくなったことかな?
無駄に注目を集めることがなくなったので、何でも書ける。これが本当に「ネット日記」のいいところではないかな。
ずいぶん前に書いた記事のブクマからの検索で、こんなブコメがあったか、と思い出した。
この人たちは自分たちの意見が絶対的に正しいと信じて疑わないのだろうな、と当時も今も思う。
私が文盲であるとの認定をこのブコメを書いた人間はしているようで、感覚の違いとはいかんともしがたいものだとしみじみ。
「結婚して産みたくなるかと思ったが、産みたくならなかった」とは
結婚相手と過ごしてみて、やはりこいつの子供はいらねぇわ、になった、実にみもふたもない結論に至ったということだが、
それでも婚姻関係を続けるのは何故か、
「私自身の子供は欲しくないが、相手の子供ならいてもいいかも」と思うなら、そこには生活をしてきた上で「愛」がある。
でも、「そうならなかった」ことほどの非礼を全く認識しない、出来ない、その自分絶対正義力には辟易とする。
そこが読めない人間に何を書いても無駄だろう、と当時の私は思ったし、今でも思っている。
その記事を書いてもう8年もたつか。
フェミニズムは一部の身勝手な女たちの盾にしかならないのかもしれない、と当時も、今でもそう思う。
「結婚はしてやったけど、あんたとあんたの親の孫なんてのを、私に産ませようなんて信じられない!」と
ある種のフェミニストが正直に言うようになったら、世界は進んでいるのかもね。
個の生殖権利を奪うとはかなり罪深いことになるのではないか、と私は考えているが、そうではない人も世界には多々。
「愛は相手からガッツり全てを奪うこと」「私は何も与えないけど」が、女子の「モテ」の定義か。
一緒に過ごしても子供を産む気になれなかった、なんて告白ほど、結婚相手に対して残酷なことはないと思うが、
それでも平気な人間がいるようなのが、世界の多様性なのだろうとは思う。
ただこの手の人は一方的にしか正義を押し付けてこない。
自分たちだけが高みに立って、何でも知っている、それ以外の愚民どもよ、とやられるのだとわかって、
私はこの人たちから学ぶものは何もないと思った。
一番身近な他人を尊重することが無意識にでも出来ない人間に社会を変える力はない。
はてなは本当に昔から、相変わらずなのだよなあ。