思い出話。

8年前と言えば、現在、天候不順で不安定になってる実家父が最も手がかかった時期だったな。
あのころ、父はずっと私の兄弟の配偶者が何故子供を欲しがらないのか、産もうとしないのか、
この「わたし」に聞け、と非常にうるさかった。
そんなことをしたら、どのようなことになるか、もうわからなくなってたんだろうな、と今はほろりと思いだす。
私の両親は昭和の人間なので、なぜ、子供を欲しがらないでいられるのか、全く理解できなかった。
ま、わたしも昭和人間なので、何故子供が欲しくないのに、結婚するのか、実はさっぱりわからないが。
でも、正直な話、私としては、欲しくない人の存在なんて、どうでも良いのよ、
それが縁戚にあたったところで、結局は、個人と個人の問題、私の知ったことではない。
ただ、自分の配偶者の身内がそのことで傷つけられる可能性を全く考えない人間は、子供なんて持っちゃいけないとも思っている。
わたしが以前聞いた言葉で印象的に残っているのは「産みたくない女の子供はいらない」だったな。
私もそんな人の子供は要らない。
兄弟の配偶者でなければ、知り合いにすらなってなかった人の存在とは、そういうものではないかな。
そのことでどれほど私の両親が悲しんで、わたしにあれこれ愚痴をこぼしたところで、わたしは我慢するしかないんだろう。
何故、わたしがそんな目に遭わないといけないのかはわからないが、
そういう人間を配偶者に選んだ兄弟を持ったのが、人生のバツゲームなんだろう。
「結婚しても「私」が産みたくないから、産まない」とは、そのストレスを自分以外の誰かに負わすことにもなる、とは
たぶん「産まない」人には理解できない。
私の両親は一度として、息子の配偶者に子供のことは聞かなかった、今でも聞いていない。
でも、娘の私には散々言った、私に何とかしてくれ、とも言った、でも私は何もしなかった。
そのことを時々後悔に似た気持ちで思い出す。
そんなことを思う必要がないのを知っていながら、たまに苦い気持ちになる。
わたしの父は、最愛の末子に子供がいたら、今ほど狂わずに済んだのかな?
ほぼゼロに等しい可能性を私はたまに思い浮かべる。