ネット雑記。

ネットで子どものことを書くことに関して興味深い記事を読んだ。
非常にデリケートなことを興奮状態でつい書いてしまうと思いもよらぬ嵐のようなネガティブなネットの反応について、と
漠然と言いたいことが言えない「雰囲気」とか、色々考えさせられる。
私は現在中1と高1の娘たちにネットで日記をつけていることを知らせていて、
読みたければいつ読んでもいいと言ってあるのだけれど、先日も二人共から断られた。
上の子は「文芸部」に所属していて、自分が書いたものを読まれるのは「恥ずかしい」からと、
下の子は「ママが興味のあるものと私のとは違うから」と、なんとあんたたちは冷たいんでしょうねえ、、、(涙)
まあ、普段話しているようなことしか書いてないことがわかってるんだね、ママの裏の顔を知らないな、なんちゃって。
ネットで子どものことを書いていちばん不愉快なのは私の書いているものが気に入らない相手が
必ず子どものことを使ってこちらに嫌がらせをしてくることだ、私が「母親」であることを非難のひとつとしてあげてくる。
私が「母親」で「子どもがかわいそう」とは、この偽善っぷりには全く反吐が出る。
ネットとは意見を持ち、かつ子どものことを書いてもそれは別個に考えられるもっとさばけた場ではないかの淡い期待を持っていたが、
気に入らない相手の子どもまで攻撃対象にしてもいいと考える現実世界以上に偏狭な場所だ。
特に子どものことで反応すればするほど大喜びで子どものことを叩いてくる、確かに全く相手にしないもひとつの「方法」だろう。
ただ、それでは結局「思ったこと」を「書かれっぱなし」で自分は「書けない」状態に陥ってしまう。
私は「やられたらやり返す」ためにネットをやっているようなもので、何かをおそれて「書かない」のは私が「私」をやめてしまうことになる。
ある程度、「匿名」だから書けること、「母親」であっても「キレる」こと、全部「私自身」であって、
私は日記に「私」を残している、「母親」であることも含めて。
現実世界で100%私自身であることはほとんど不可能に近い、どうしても「母親」の仮面をつけ、子どもが「かわいそう」といわれないように振る舞う、
その「押しつけ」に私はネットの中で「だけ」でも反発していたい、
だからやはりネガコメや嫌がらせ「粘着」、くずトラバには徹底抗戦の構えで今後も書いていくつもりだ。
これからネットが本当の意味で社会的な「場」になるとすれば、あまりにネガな反応はなくなると思う。
また、ネットの法整備はくだらない嫌がらせ粘着をしている人間が思っている以上に早く進むようなんで、
別idをつかったり匿名の嫌がらせもいずれは消滅するんじゃないか。今でもネットは完全に匿名ではもうない。
子どもとネットのことも書くつもりだったけれど、まとまらなくなったので今日はこれにておしまい。
ネット上に浮かぶ言葉をどのように受け止めるか、その感覚が私と子どもとでは違っているので、
子ども世代のネットの「社会性」に期待を持つ。
ネットで日記を書き、母親であることも隠さないでいたい。今までも、これからも。