雑記。

イジメ事件があると必ず「イジメ、よくない」とか「私もいじめられっ子だった」的なご意見がネットに出てその「ご高説」を賜るわけだけれど、
ネットで明らかに「イジメ」である嫌がらせを、時間をかけた揚げ足とりをえんえんとして「どうです?私、まちがってないでしょ?」
なんてやってたヤツが案の定「イジメ、よくない」なエントリをあげていて、笑えた。
ま、どことは書きませんが、数年前、そいつのお気に入りが嫌がらせをしているのを私が指摘したとき「それは嫌がらせじゃないでしょ?」「嫌がらせと思う貴方が悪いんです」
トラックバックを送ってきたヤツだったりする。
「あなたのやってることは、あなたの子どもがされたイジメと同じことです」って、上手な言い回しだなあ、と感心したな、
イジメを指摘すると、すぐこういう言葉を巧みに言い換える意見が出てくる、理屈と膏薬はどこにでもくっつく、って、このことだな、とある意味、感心するわ。
不思議なのは、いじめの対象となっている人間にそれがイジメであると思われるのは平気なくせに、そのまわりにいる人間に「イジメ」と見なされるのは恐れていること、
これこそが「差別心」そのものなんだけれど、その差別心は「当然のもの」とほぼ「権利」であるかのように見ているんだな、
だからこそ「あなたがまちがっているから、わたしたちはそのマチガイを教えてやっているんですよ」とさも親切心を装ってやってくる、
イジメ事件のやっかいは、この手の人間が山のようにやってきて、被害にあった人間を押しつぶそうとすること、
二次被害、三次被害にまったくうんざりする、世の中には自分が「善意あふれる正義の人」と「見られる」ならどんなことでもやっていいと信じている狂人がいる。
しかし「どうあるべきか」より「どう見られるか」こそが大切と思っている点が誠にラジカル、もう腹もたたんわ。
「イジメ、イクナイ」とご意見をネットで表明することこそ「正義の味方」と信じている単純さに癒される人はもういないだろう。
私は「イジメはよくない」と書きながら、結局は「いじめられる方にも問題がある」を上書きしていく人間が反吐が出るほど大嫌い。
ネットでものを書いて、「ちょっといいヤツ」を気どってる人間ほどこれをしたり顔でやってるね。
「恥ずかしい」ってどういうことか、この手の人に聞いてみたいが、羞恥心なんてもののレベルが私なんかとは違うんだろう。
上に書いたような人間と同列に語ることは噴飯ものだが、イジメが育つ土地柄を指摘できる人の聡明さに私は癒された。
あなたがネットにいてくれて本当にうれしい。