好きな育て方、嫌いな育て方。

というのをふと。
はてなで推奨される子供の育て方というのは、地方のヤンキーがやたら「うちの子供は自由にのびのびと!」というのに似ているなとかねがね思う。
と言って、はてなで育児関係に敏感な人がヤンキーというわけではなさそうなんで、多分その「自由にのびのびと!」は趣が違うんだろう。
田舎のヤンキーの子育てと、情報に敏感な都会人の子育ては同じ言葉を使っても、全然違うことを意味するのだよね。
私がネットの「自由にのびのびと!」に懐疑的なのは、東京に進学した上の娘が、育ちのいいご学友が妙に「ヤンキー」に憧れを持っているらしいのを、
「ザ・リアル!」ヤンキーをよーく知ってるので忌々しく思っているのに似ているかな。
本当に「自由でのびのびと!」が育児の「大正解」かというと、私は育児に「正解」は「ない」と思っているんでどうかな?
ちなみに、私はよそ様の子どもが伸びるのか、もわからない、伸びて欲しいとは思うだろうけれど、本当のことは誰にもわからないものじゃないかな、
自分の子供がどうなるかも正直、わからない、ましてやよその子供をや、だ。
下の娘も大学に入って、上の娘の就職先も決まって、私の人生の半分は一段落したかな、と思う今日このごろ。
私の育児を翻ってみれば、なんだかんだでこだわってしたことって、本当に役に立ったかな?とじつは思う。
結局は、子供って育ちたいように育つ感じ、それを阻むほどのことはおそらくは私はできなかっただろう、
子供であっても、人というものの成り立ちを簡単に変えられるものではない。
子育てするというのは、他人の子育ても見ることで、その最中に、「あれ?」とか言う人も、見かけるのだけれど、
最終的にどうなったか、というと、あれがどうだったから、どうだ、ってのは意外にない。
PTAで反りの合わない人にもあったが、その人の子供がどうなったか、というと、お父ちゃんソックリの嫌な奴に育ってますがな、
そして、自分の息子のためならば、人の子供を押しのけるのは当然!の考え方のお父ちゃんが大好き、みたいな。
父子でさわやかなほど嫌な奴ですな、こいつらと付き合うのはもう勘弁、と思ってる同級生、PTAは大勢いる。
でも、「欲しいモノがあれば、他人を突き飛ばしてでも手に入れろ!」と教えているお父ちゃんは本当に息子のことが大好きだし、
息子も、自分のためなら他の人間を徹底的にやっつけてくれる父親を、「いいオヤジ」と考えているし、
まあ、それなら、この強烈な父子も「あり」なんじゃないか、
で、多分、彼は父が思い描く通りの人生を一生懸命歩むだろうし、その努力に対して父親は無限大に協力するだろう、
きっと、彼らの人生に「失敗」はない、実に実に嫌な奴らだが、多分、その子育ては、「成功」だ。
一方で親子ともども、心優しくても、優しいがゆえに「病む」という子供もいたりして、これは育て方ではないのだよな、
親がどんなに努力しても、なにかの素因があれば、病気はやはり発症してしまう、こればかりはどうしようもない。
でも世間的に見てその子育ては「間違っていた」んじゃないか、多分、親自身もなんどもなんども考えることだろう、どうしようもなかったのがわかっていても。
なんと言えばいいんだろうなあ、「己に従って子育てする」で、私はいいと思うんだよな、多分「これは失敗したかな」というのは必ずある。
その時はやり方を変えてみればいい、ネットで育児の言葉を探してさまよう人には、私は特に声を大にして「もっと自分に自信を持って」と言いたい。
いいんだよ、自分がそうしたいと思ったやり方で。間違っていれば、必ず子供が教えてくれるからね。
この先、いろんなことを子供にも、その周辺にも教えてもらって、それでいいんだよ。
育て方の「大正解」は多分、それが「好き」かどうか、で、嫌いな育て方であっても、まあ、本人たちが幸せであれば、いいんじゃないかな。
他人の子育てで、これは嫌かも、と思うのは、なぜなのか、その子供が伸びないかも、ではなく、もっと自分の不安が反映しているように思う。
たいていの「何かが違う」はそういうものだわ。
育児って答えのないものだから言葉にするのは難しい。ただ、ネットで、特に「はてな」にいる人にはもっと自信を持って、とは書いておきたい。