雑記。

なんと、世間では3連休じゃあーりませんか、って定期的にこんなこと書いてるな、だって、3連休なんて私にはないんだもの。
インフルエンザでごちゃごちゃしている間に、上も下も交代で学年末テスト、部活のあれこれ、球技大会、卒業式、云々、と
早めに家に帰ってきてうだうだしたり、どこかへ送らないといけなかったり、育っても「育児」は目の前からいなくならない限り終わらないのよ、、、
とりあえず、子供が大学に入れば、私の「育児」は「終了」ってことで。うちは18で家から出すのよ。
あれこれ拾い読んでいて、はて、最近、ネットで接触(?)を持った30前後の女性は、何故、育ってきた環境やら母親やらにこだわってるんだか、
私がそのくらいの時は、全く知る人のいない転勤先のど田舎で四苦八苦して育児してたんで「母の呪縛」だの育った場所が「腐った土地」だの
考えている「ヒマ」がなかったな、「ヒマ」があったら、私もそういうことを考えていたんだろうか、うーん、どうだろう。
多分、子供がいなかったら、他のことで忙しかっただろうから、その発想はなかったような。
「ヒマ」だからやってる、ってのも乱暴な意見だが30前後で「昔、こんなことがあったからどうのこうの」ってのは、
そんなに辛いのなら、病院にでも通えば?と考えちゃうな、いやー、申し訳ないけど、全然同情できないわ、
30前後で子供がいなかったら、私はせっせと不妊治療に通ってただろうしな。
何かするのに迷いのない人間だ、と誰かから言われたことがあって、これはネットでも書かれた気もするが、
私は迷いがないんじゃなく決断が早いんだな、迷ってるヒマに何かしよう、と考える、迷ってるだけで終わってしまう人が多いからなあ。
未だに「母の圧力が、、」なんて言ってる人の根気良さには感心するが、それやって今の自分の状況が変わるのかね、
延々と何かに「いいわけ」をし続けているような、「で?」と聞きたくなる。
だから他人に絡むのは正当化できるってわけかな、それが「正義」か、よくわからんね。
多かれ、少なかれ、母であろうが、誰であろうが、「圧力」的なものは確実にあるもので、そこから抜け出しながら人は大人になっていくが
30前後でいつまでもやってるのを見かけると、それは20ぐらいで卒業しておけよな、と思ってしまう。
私は二十歳の頃でも母ちゃんのことを考えたことがなかったわ、つか、今でも考えていない、これはこれで問題だな。
やはり年をとった、衰えた、とは思うんで、「子育て」が終われば「介護」なんだなあ、とは考える、
上野千鶴子さんが介護関係の本の中で、お母さんの介護をしていたときに「どうしてあなたはあのときに、、、と思った」みたいなことを
書いていたので、私も思うようになるかな、恨み辛み的なものはあるとは思う、でも、そういうのってだんだん消えるなあ、子育てしてると。
それが子育てのいいところでもあり、悪いところでもある、かな。
私は育児は本当にやっててよかった、それも若いうちにやってよかった、と思うので、ほとんど考えもせずに子供を産んでよかった。
迷うことは悪いことじゃないだろうが、迷いが「いいわけ」になって、過去を掘り返して、他人を意味もなく攻撃してみたり、
そんな自分を「正当化」したり、そんなことするヒマがあるんだったら、子供でも産めば?なんて、思いっきり「鬼婆」意見を持ってしまうなあ。
「子供を産まないと鬼婆になる」のどうの、とたいそう香ばしい本があったはずだが、今度読んでみるか、
あまりにアホげな本なんで、さすがに触手が動かなかったが、そういう本もあえて手に取ってみるかな、今は「婚活」本が読んでみたいけど。
子供を産んでいても「鬼婆」意見を持つのですよ、ま、なんにしてもたまたま見かけた似たような人がほぼ同世代だったんで、印象に残ったって話。
迷ったら、考えずに決める、も必要なことかもしれないな、、、