「家事」をなめるな。(育児・介護はもっとなめるな)

と、昨今の「ヤングケアラー」問題を目にするたび、

「専業」主婦のおばはんは思うわけで。

「家事くらい、誰にでもできるだろ」という概念がなぜか世間に流通しているものの、

家事をしている人をこまめに見守る時間があった時代の話で、

そのころはまた「仕事」として家事の「手順」を教えてもらえる時代でもあった。

よく訳知り顔の、主に男が「昔は洗濯機もなかった、掃除機もなかった、云々」と

鬼の首でもとったかのようにしたり顔で言うが、

実のところ、都会のお金持ちの家はすでに洗濯機、

氷で冷やす革製の冷蔵庫なんかもあったりして、

その上に「行儀見習い」の地方から上京してきた若い女手もあったので、

夢のような美しい暮らしが成り立っていた。

現在はその夢のような暮らしを「当たり前」のように考える、

「掃除機がある!〇〇がある!!」と、

自分はちっとも家事ができるわけではない阿呆が家に寝転がってたりして、

その上で「妻にも働いてもらわないと」などとうわごとまで言い出すらしいので

まことにうっとうしい。

話を戻せば、「家事」が仕事として立派に成り立っていた時代は

教えてもらう機会も多かった。つまりは「教えられなければ家事はできない」。

これを認識できていない大人が多く、そのくせテレビやネットに影響されて

妙に求めるレベルが高すぎる、「誰にでもできることもできないのか!」などと、

「そんなに簡単なら、お前がやれ!」と

アテクシはほぼ半生を主婦業に費やしてきて、正直に言うと、

「家事やってるより外で働いて一人で生きたほうが楽しかろうな」と

思うことが多かった。実際、家事業は「きれいにできて当たり前」だしな。

ずっと家事業やり続けてきて思うのは、

「ある程度の知識と、それを教える人間が傍についていなければ

どの仕事でもまともにできるものではない、家事もしかり」で、

特に求められることが多岐にわたる家事は人生経験のない子供には

相当な負担がかかる。教えたとしても状況は常に変化する、

ましてや、子育てや介護など、子供にできるものではない。

「ヤングケアラー」は介護の場面では時々見かけるもので、

私はいつも「親は何をやってるんだ!」とこの時だけは考えてしまう。

私と同世代で、多分、仕事に忙しいんだろう。

たまに頼まれる程度ならともかく、そうでもなさそうな若い子をちらほら。

こちらも状況が変わって別の場所に移ったりして継続的に見ていないものの

「家事」であれ「介護」であれ「育児」であれ、

「誰にでもできる!」なんて意識はもう淘汰されても良いころではないか。

そうせざるを得ない家庭環境なのは理解できるが、

「誰にでもできることだろう」とうそぶいて子供に任せきってしまう、

そういう考え方自体を変えてほしい。

誰にでもできるわけではなく、教えられてようやくややマシにできるようになる

「仕事」であることをもう少し意識していただきたい。

暮らしをきれいにこざっぱり、なんて現在、子育てが終わって

介護も比較的楽にすんでいるアテクシのような一瞬だけ「有閑マダム」になって

初めて、成り立つ状態なんで、それをもっと広めていきたい。

アテクシもそのうち孫育てに駆り出されたりして、

今より悪戦苦闘する時代がまた来るのよ、、、(涙)

「家事」は教えられ、傍についてみてもらってようやく、少しづつできるようになる、

ほかの「仕事」と変わりがないものだと、ここに。

特に人生経験の浅い子供に全面的に家事を頼るのは、虐待。

と、NHKのニュース記事を読んで、思ったことなど。

でもあの事件は気の毒な面は多いが、隠した点は悪質に思う。おわり。