欧米人と日本人では死生観が違うのかな、と昨日書いて思った。
日本人の死生観は
「願わくば、花の頃にて春死なん、その如月の望月の元」で言い換えられる。
たとえ死んでもまた何かが続くかのような「死」がすべての終わりとは限らない、
ある種の安らかさがあるがキリスト教にこの手の感覚はない。
死は、刑罰同様の絶望だ。
故にほかの人間が続ける生を羨望することになるのかも。
日本人で、自分が死ぬときにほかの人間も死ね、と思う人は多くないんじゃないか、
時々欧米人が「輪廻転生」の思想を驚くほど高く評価するのは
死生観が根本的に違うからか。
マンケルはスウェーデン人だがアフリカを第2の故郷のように思い
人生の多くの時間をその地で過ごしたようで、
アフリカ独自の思想をヴァランダーシリーズでも紹介している。
その思想は日本の土着文化にも似て人類が世界に派生して行く過程は
私が知っている以上に壮大であったのだろうと考える。
と、いうことをメモって今日は母をお盆の提灯を買うために迎えに行く。
葬送の儀式は残されたものにあれこれ仕事を与えてよいものだなと思う。
おわり。