雑談。

お盆が近づき、忙しくなる嫌な予感が、、、(涙) と言うわけで(?)、読んでおきたい本のメモ。
昨日、朝日新聞の書評欄に出ていた笠原十九司氏の「「百人斬り競争」と南京事件」。
「史実の解明から歴史対話へ」と、当時の社会状況を理解するのに役に立ちそうな。
私がいつも残念に思うのは、百人斬り競争にせよ、南京事件にせよ、それが「あった」というのを「責める」のではなく
それが起こってしまったのはどうしようもない歴史の事実で、また戦争の悲惨、
そして人間の制御のきかないある種の「本能」を見定めるために検証しようとしているのに、
その行為そのものを「感情的」にとらえられること、「日本人が日本人を貶めて平気でいられるのか!?」とか、
「(根拠なく「素晴らしい」らしい)日本人がそんなことをするはずがない!!」とか、そうじゃなくて、人間ってそういうものでしょ、
「戦争」という極限状態におかれたらどうなってしまうかわからない、それに「理解」を示すためにあれこれしらべるのであって、
決してその百人斬りをした人を個人的に貶めるわけではない、(本を読んでみないとわからないけど)
例えどう書かれていようとそれをしてしまった人を私はやはり「戦争の犠牲者」として哀れに思うし、
その家族が特別ひどい人たちだと思わない、が、わかってもらえそうにないんだなあ、、、
知りたいことは一個人が「悪い」ってことじゃないんだけど。
「感情」は悪いことではないけれど、それで検証自体を断罪するのはどうかと思う、
こういう「歴史の事実」を語るときは「感情」を切り離せばいいのに。
と、いうことを某所で壮大に延々と繰り広げられる「僕にはわからないざんす」の人に思う、
わからないならわからないでもう黙っていればいいじゃないか、「わからない」世界観で別のことでも書いていればいい。
頭の悪いおばはんでも、トリアージに潜む、人間選別、切り捨ての危険思想は理解できるけどね。
戦争の悲惨を繰り返さないためにそのような状況におかれたら何をしてしまうか、知っておきたいなあ。
戦争のことはいつまでもいつまでも引きずるものだ、でも某所では長すぎる、あまりにも「無駄」に。
人は「馬鹿」のままでいる「権利」も有しているということで。私も「馬鹿」のままでいたい方だし。
でも、あまりにも、あまりにも、だなあ、と、早く終わってください、とこっそり。
他人から正論で責められたとき、人がどのように振る舞うものか、それを検証するのに役に立つんだろうかね。
そんなこともチラッと。ま、どんなことでもなんかの役に立つ、と言うことで。
「感情」がいちばん難しいなあ、、、