雑記。

今、苅部直の「丸山真男リベラリストの肖像」と北田暁大
「わらう(やッぱし「ことえり」ではあの字がでんな)日本の「ナショナリズム」」をチャンポンで読んでいて
両方とも面白いんだけれど思いのほか「わらう」の方の文章が固くて、トホホ。
もっと「お笑い系」の要素たっぷりかとおかしな期待をした私が馬鹿だった、、
真面目で読みごたえがある。第1章で日本赤軍の「総括」を取り上げていて、
今さらながらその事件の異様さに驚いている。「ふわく」な私がまだ幼児だった時の事件だからな、
そういう事件が「あった」はさすがに知っていてもその詳細は知らない。
何やら「内ゲバ」なるもので沢山人が死んだ、くらいで、また、つい「お笑い」言葉として使う「総括」なるものが
いかに凄まじかったのかほとんど私は理解できない。「えぇえぇえぇー」と「なんでこーなるの?」
と思わずきんちゃんポーズでもしたくなる不可解さだ。
ううむ、「自己批判」なんて私には出来そうにないなあ、その時代に学生してたら大変だったろう、
内田先生が「サヨクがぼくをいじめた」と恨みつらみを書くのがわかるような気が、、
これが起こったのは何故なのか、普遍的な人間の狂気だけのせいなのか、或いは時代の流れのせいなのか、
もうすでにその時代に生まれていた私が70年代を「総括」(なンちゃって)せよ、と言われても、
わからないからなあ、、
数年前にNHKの「プロジェクトX」で「鉄球兄弟」なんて無理矢理なタイトルつけてかの浅間山荘事件の
もう一つの「立て役者」(?)の検証を行っているのを見たが、そこでそのクレーンかなにか
「鉄球」を扱った御兄弟の方々が初めてお顔をあかされた、とあるのに私は驚かされた。
つまり、日本赤軍を追い詰めるのに協力された方々は、日本赤軍の報復を恐れていたのか、
或いはそうしなかったのが「時代」の流れで「自然」だったのか、
なんせあれこれしてる合間合間に見たんで定かではない。
しかしあの有名な「鉄球」が山荘を壊すシーンは私でさえ何度もTVで(リアルじゃないけど)
くり返し見てるからな、てっきり手記とか出されて有名な人たちだと思ってたのに、その時初めて出演されたとは
個人的に大変奥床しい方々だったんだろうか、、ウウム、わからん、
その時代の人が日本赤軍をどう見ていたのか全然知らんので、あれこれ読んでみようと思う。
それにしても「ついこのあいだ」に過ぎない時代を知ることの難しさよ、青春を過した「時代」の影響を
私も大きく受けているのをたびたび実感するものの、それがどんなものか、ちゃんと言葉では言い表せない。
例えば最近、上の娘がファンタジー小説からの流れで宮部みゆきを読んでいて「理由」や「火車」の痛切さを
どのくらい理解できるか、娘が「火車」を読む前に「どんな話し?」とたずねたので
「可哀想な話しだよ」とつい話して、彼女は誰を「可哀想」と思うべきか悩んだらしい。
主人公の生きた時代を私もまた同世代で生きていて、「理由」にせよ、登場人物のその「痛さ」を
私には理解できるように思えたけど、娘は単に「面白かった」の印象になる。
同じく、小熊英二の「日本という国」についても何故昭和天皇の戦争責任をはっきり書くのがよくないことなのか、
これが理解できなかったらしい。「あって当然なのに、なんでなかったことにしたいの?その方がおかしいよ」
と、ふーん、まあそうなんだけどねえ、、「ないことにして何がよくなるの?」と、これは南京大虐殺にしても
従軍慰安婦問題にしても、たずねて来るんだなあ、「あった、ってして、何がおかしいの?」
と、うすっぺらリベラリスト(?)の母ちゃんに聞くんじゃないよっ!と言うわけにもいかんので、まあ、お勉強。
その時代の雰囲気をつかむってどうしたらいいんだろう。
とりあえず、もし娘がネットであれこれ歴史事項について検索した時、あまりにも香ばしいサイトに行き着いて、
感想を言ったら私が勉強させてもらっているところを見せるようにしよう。
どちら側の人が「正しい」と感じとれるか、この点で私は娘を信頼している。
あ、「ほんのあれこれ」を書くつもりが馬鹿親日記になってるか。いやはや。
ところで、春休み中、愛機「シェル型タンジェリン」i-bookの調子がおかしくていつお亡くなりになるか、と
せっせと毎日書くようにしていたものの、年寄りと同じでちゃっかり持ち直したようなんで安心して「お休み」を。
立て込んでたのに無理しました。ほほほ、奥様会で春休みお疲れ催し物なの、いってきます。