いろいろ。

最近の大不況報道がいつも「この世の中にはこんなかわいそうな人たちがいるんですよー」一色でなんだか変。
現実に困っている人たちにこれから先の役に立つアドバイスをちゃんとしているように思えなくて腹が立つ。
それに「まだクビになっていないあなた方はクビにさえならなければこの先どんなことがあっても我慢するように」と臭わされているようだ。
私の幼なじみの父親はまだ10代で戦争に行かされて命からがらかえって、それから無一文で汗水垂らして小さな鉄工所を1代で築いた。
だからなのかここ10年の大不況時、仕事がなくて機械を止めているときでも、することがなくて従業員が日がな職場でトランプをしていても
決して従業員のクビを切らなかった。給料も安くはあってもきちんと払っていた。(その代わり採用は10年一人もナシ。)
一人、また一人と「定年」で見送って、30人いた従業員も15人に減って、最近少し仕事も増えてきたかな、と思ったところにこの大混乱。
幼なじみの兄が社長に代替わりしているものの、やはり従業員のクビは切らない。
そんな超零細鉄工所の経営者が踏ん張るのに、超一流大手は、なんで従業員の「生活の面倒をみている」の意識がないんだろう、
人を人としてみていないのがよくわかる、そんな経営者が「この国が、、」なんて言ってもちゃんちゃらおかしい、経団連って何?
ネットで南京事件を巡る色々が話題になっていて、時々拾い読みする。
南京事件があった」「なかった」の論争で「そんなものあってもなくってもどうでもいいじゃないか」などとうそぶく人間がいるらしく、
どことなく「いじめ」の心性に似ていると感じた。
「いじめがあった」「いじめはなかった」とせめぎ合う中で
「いじめなんてあってもなくってもどうでもいいじゃないか」などと言い出す人間がいちばん罪が重いと私は思う。
「いじめ」に伴った痛みすらも見下している、
「いじめをしたなんて「恥ずかしいこと」だからなかったことにしてしまおう」と「隠蔽」を謀る気持ちの方が理解できるからまだマシだ。
「いじめなんてどうでもいいじゃないか」「南京事件なんか世間では意味がない」とはそんなものを俺は超越しているんだぜぇ、と
それに伴った悲しみを踏みにじることが出来るほど自分は「えらい」とでも言うような、一体どんだけナルシストなんだろう、
詳しく読めば腹が立つだろうから読んでいないが、「思想地図」の方は以前読んで嫌になった。
いじめであれ歴史的事実であれ、きちんと認識することから始めなければいけないのに
問題の根本を混ぜ返すのではなにも始まらないし終わらない。
そんなこともわからないのなら、学ぶことなんか無意味だ。まったくうんざりする。だからもう読まない。
今、朝日新聞で連載している「堀川の奇跡」という特集で公立中学成績上位者のことを「上澄み」と呼んでいると知って「がりっ」と来た。
「上澄み」って人間が人間に使う言葉かっ!!
公立校教師の在り方に改めて疑問を抱く、いや、これは日本の教育全体の問題か。それ以上に今の社会の在り方なんだろう。
社会が人間性を失っていることがよく反映されている。
人には「顔」があるのを忘れている人が多い。また、自分で自分の「顔」をなくしている人も多い。
怒りをおぼえる顔が醜くてもそれが私の「顔」だから。それを忘れないでおこうと思う。