返信。

昨日書いた日記内容に物言いがついたので返信を。

出来ない上司ができる部下をやめさせるなどという甘い社会では

もう今はなくなってるんじゃないかな。

むしろできる部下であればどこまでも使い倒すくらいの勢いの人間でなければ

いつまでも上司ではいられないのが現在の大手企業の状況ではないか。

「出来るから辞めさせる!」なんてことはたぶん20年近く前まではあったかも、

くらいの話で、できなければやめさせる雰囲気が日系でも現実のような。

10年位前から「やめた俺、私は優秀!」の意見がネットでは一般的ではあるものの

それはそのさらに10年前の話がだんだん「言っても良い」話になってきたことで、

今の日本の大企業は入る段階でかなり厳しい選択がされる、

その上、入ってからもまた選別される、

「できるから辞めさせる!」は業界によるのかもしれないけれど、

ほぼ「ない」のが現実ではないか、

現在、もしあったとしてもその確率はかなり低い。

事務系の場合、大手企業に入るのはコネクションがまずあって、それから優秀、

でなければ選考にも入れてもらえない、「学歴」だけではほぼ不可能。

そこまで厳しい世界になっている。

理系はまだ学歴が幅を利かせてはいるものの、

その中には「ふわっとした」学歴のショーもないのも入ってくる。

たぶんかつてはそういうショーもないのがうまく立ち回って、

自分の地位を脅かす優秀な新人をつぶした時代もあったんだろうけれど、

そういう人間は10年以上前に出向させられたり、早期退職に追い込まれたり、

情け容赦なく淘汰されている。

でもこれは、そういう人間に泣かされてきた人間たちの悲願で

優秀でなければ生き残れない世界になったのはむしろ喜ばしいのではないか、と

私も上の人間に良い顔をしたり他人の手柄を自分のものにしそうな同期が

先に出世するんじゃないかの不安を抱いてるけれど

その可能性は限りなく低くなっているのが現実で、

自分もできなくなれば必ず淘汰される現在を受け入れた上で

3年は何とか生き残る方策を考える、見捨てられることを恐れない、

もっと言えば見捨てることも恐れない、

これが今を生きる若者に必須の能力ではないか、と私は思うんで、

申し訳ないけれど「やめた人間にも優秀な人間はいる!」は

その「言葉」だけではなく、行動で示したほうが良いと思うのでした。

ネットで山のように「やめた私は優秀!」だとか、

外資だから辞めるのは当たり前」だとか、

ほぼデマが飛び交うことは気になりませんかね?

3年、どこにもしがみつくこともできなかったくせに

外資で4年!」なんて言ってる人間って本当に優秀ですかね?

優秀であれば言い訳にしがみつく必要はなく、優秀を証明するのに忙しくて

過去のことはもう忘れてるんじゃないかな。

「やめたけど優秀だった!」は今を懸命に生きる若者に必要な感覚であるかどうか、

申し訳ないけれどそれは平成に置き忘れるべきものではなったかと思うのでした。

3年もたない人間の何割ぐらいが本当に優秀なんでしょうか?

その割合はできないからもたなかった人間より多いんでしょうか?

優秀な人間は、甘えてくる人間につぶされる、それが現実と私は思うのでした。

おわり。