人生の罰ゲーム。

久々に仕事をしている友達とお茶をして、

大手企業に入社した娘の同期の中には相当な曲者がいる話をすると

「そんな子、すぐやめるでしょ、ついていけないんだから」と、あっさり。

私なんぞは娘から話を聞いてやきもきするばかりだけれど、

もう数十年仕事を続けている人間の目から見れば、

上の人間がいる時だけ良い顔をしたり、やたら出身大学をひけらかす人間など

それをしている時点で「失格」の烙印を自ら押している取るに足りない存在だと

わかるんだな、と感心した。

「辞めた会社のことをいつまでもひけらかしたりするだろうけど、

それしかできないんだからどうしようもない。

お嬢さんもそのうち腹も立たなくなるよ、みじめな人たちだからね」と

社会で働き続けてきた人間の見る目は厳しく、また、確かなんだろう。

「たくさんいるから、変なのは混じるよ、でも淘汰されるから」と

私は緩い世界で生きてきたので、私の兄弟が最初に入った会社は何が何でも

3年は辞めるな!の意味がよくわからなかったけれど、最近うっすらとわかってきた。

どれほど言い訳を並べ立てても、最初の仕事を3年持たずに放りだす人間は

社会的に役立たずであるのは確実なんだろう。

淘汰されたを受け入れることができず「自ら辞めた!」と言い募るだろうけれど、

それが社会でどの程度の評価になるか、永遠にわからない、

そういう人生は罰ゲームみたいなものなのかもしれない、としみじみ思ったのでした。

社会で働き続けるのはものすごく重い現実を抱えることだと

改めて専業主婦である自分の至らなさを思い知ったのでした。

とほほ。おわり。