真面目は損か。予約投稿その5.

「得」ではないことは確かなのでそれを前提に。

まゆゆ関連の記事をネットで拾い読んでいると真面目な若い女の子によくある

ため息のようなつぶやきもあって、本当に若いとは生き辛い。

特に真面目な若い女の子は誘惑と危険のセットに正面きって戦う。

それで傷つくことを「損」だと言い立てる世間が一番ストレスで

「得」ではなくてもせめて「損」とは言われなければ良いのに、

と、若かりしころ、やはりほぼ馬鹿真面目であった私は思っておりましたわ。

しかし「損」と言い立てる人間たちはたいていが

若い女の子を唆して自分が美味い汁を吸おうとたくらむ連中ばかりなのが

この年になるとはっきりわかっているので、

その手の甘言に乗らなかったクソ真面目な自分に感謝。

半世紀以上生きて真面目は損か、の答えを言えば、

「得」ではないにしろ決して「損」ではないことをここに。

むしろ「損得」を超えた「生き方」であって、

それを「損得」の尺度で捕らえようとするほうが間違っている。

小ずるく立ち回れる連中はそのやり方が「ずるい」ことを本質的には理解できない。

それだけ「鈍感」で「鈍感」な人間は確かに生きづらくはないので、

自分は上手に人生を立ち回っている!と言いたがるんじゃないかな。

そんなに感性の低い生き方をよしとはしない真面目さは貶められるべきものか。

ずるく立ち回るのを人生の正解としない生き方は

一見、とても不器用で損ばかりのように見えることもあるけれど、

今、ほぼ子育てを終えて見回すと、

若いころから何とか少しの「得」にこだわって

あれこれうまく立ち回っていたはずの人間が幸せに生きているかといえば、

相変わらず、他人より、より簡単に、より美味い汁を吸おうと常に画策し続ける、

そのこと自体は趣味的な「生き方」として評価するが、

自分がやり続けたい生き方かといえば、そうでもない。

それは私が好きな生き方ではないからだ。

「真面目に生きる」を恐れない世界になればよいけれど、

そうでなくても、真面目に生きられる、は本当はとても良いことなので、

若い、特に女の子は迷わないで欲しいと願うのでした。

真面目な人間は結局真面目な人間と集まり、真面目に生きていけるので

最終の収支は損得かかわらず、「良い」生き方ではないかと思う。

おわり。